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冒険ダイヤル(32) そうだけど、そうじゃない

(前回まで) 一同は箱の中から出てきた魁人の手紙に心を乱された。

喫茶店に残された駿と陸はしばらく無言だった。
飛び出していった深海には絵馬がついていったから心配はいらないだろう。
陸はかき氷の器の底に残ったシロップを音を立てて飲んだ。
寄木細工の箱をもう一度手に取った駿は、開けたのと同じ順番に閉じていこうとしたが、どういうわけか閉じることができなかった。もう少しというところで板がぴったりと閉まらない。あきらめてテーブルの上に箱を投げ出した。
「この変なイラスト、なんだろう。何のマーク?」
陸は手紙の端に印刷されている不思議なイラストが気になるようだ。
「ああ、そのメモ用紙、彫刻の森美術館のグッズだと思う。たぶんピカソ」
「ピカソかあ。ピカソじゃあ仕方がない」
何が仕方がないのかわからないが、要するに単なるメモ用紙だということだ。

「魁人はこういう文章を書くようなやつじゃなかった」
「僕もなんだか違和感がある。一応は筋が通ってるけど今まで散々振り回しておいて急にこれだもんね」
「まるで何かの台本みたいだ」
「そりゃあそうだ。この箱はゲームが始まる前に準備されてたんだから」
「うーん、そういう意味じゃなくて、なんだか嘘くさい」
「どのへんが?」
ふたりは同時に手紙を覗き込んで頭をぶつけた。
「痛え」「ごめんごめん」
陸は頭をさすって先に謝った。
そしてふと手を止め、手紙の上に視線をさまよわせていたかと思うと、突然そこに覆いかぶさった。

「陸?」
駿に呼ばれるまでうつむいていた陸は、起き上がるなり、なぜか髪の毛を押さえて前にばさっと下ろし、顔を隠しておかしなしゃがれ声を出した。
「汝らは心の奥底ではもう謎解きを終わりにしたいと望んでおるのではないか?」
かき氷のシロップで真っ青に染まった舌を出して不気味な預言者になりきっている。
「なんだそりゃ」
駿は笑い飛ばすつもりだったが内心どきりとしてうまく笑えなかった。
陸は髪の毛で目元を隠したままで続けた。
「不吉な予感がしているのじゃろう?」
芝居がかった声で〈不吉な神よ〉の文を指さした。
「ああ、これはエマが考えたんだよ。実はおれもこれが正解なんじゃないかと思ってた。間違ってたけどな」

陸が頭から手を離すと髪の毛が後ろに戻って笑顔が現れた。
「僕はこれも間違ってないと思うよ。不吉さを感じてあきらめて帰るのも選択肢のひとつだ。魁人くんにとってはそれもきっと想定内なんだ」
「想定内?」
「タオルを置いていったのだって、これを受け取ってギブアップしろっていう意味じゃないの?ボクシングの試合みたいにさ」
「いや、これは深海が最後に魁人に会った時に貸したタオルなんだ。ただ返したかっただけだろう」
「最後の借り物を返すっていうことは、もう会うつもりはないっていう意思表示とも受け取れるよ。それだけじゃなくて、今までにも帰りたくなるきっかけがいくつかあったじゃん?僕には早くあきらめろって言ってるみたいに思えたよ」
 
陸は指を立てて数えながら順に例を挙げていった。
「伝言ダイヤルでクイズにずっとつきあわされた時。箱根なんて遠くまで平日に呼び出された時。暑さで参った時。顔を合わせたら逃げられた時。タオルを突っ返された時。好きな子とデートできて満足しちゃった時。やっと箱が開いたと思ったら帰れっていう手紙が入ってた時。そして今…」
うなずいて聞いていた駿だったが、うっかり聞き流しかけた部分が時間差で脳に達した。
「ん?今なんて?好きな子?」
「はいそこ深く考えない!とにかくそんなこんなで、ふかみちゃんがショックで脱走して僕たちはやる気が萎えてる。わかる?」
駿はその件について深く考えたかったが、今は優先順位が低いと判断して話を進めた。
「つまりおれたちの気が済んであきらめるまで謎が続くってことか?結局あいつはおれたちに会う気がない?」
陸はなぜか今度は苦い顔をした。
「そうだけど、そうじゃない。僕には嬉しくないから、言わないでおこうかなあ」

「何だよ、話せよ」
駿は身を乗り出した。
陸は意外に強情で口を尖らせて言い渋っていた。
駿はつい皮肉をぶつけたくなった。
「お前、協力するつもりだったんじゃないのか?お土産だけ買いに来たのか?」
「違うよ」
陸はぼさぼさになった頭をなでつけて整えた。まだ後頭部がアニメキャラのように跳ね上がっていたけれど。
親友がはっきりと物を言わないのは初めてのことだったので駿は戸惑った。その時、陸のスマホが鳴った。

「りっくん、どうしよう、ふーちゃんがいなくなった」
絵馬の声が大きすぎてテーブルの向かいにいる駿にまで聴こえた。
「一緒に店に戻ろうとしてたのに急にひとりで歩いてくるって言って消えちゃったの。電話にも出ないの」
絵馬はずいぶん動揺している。
駿は陸に電話を替われと手を伸ばした。
「エマ、とりあえずお前だけでも戻って来い。深海はしばらくひとりにしておこう」
「でも、ふーちゃん方向音痴なのに」
絵馬が声を震わせているので駿は吹き出しそうになるのをこらえた。
「まあそうだけど、スマホを持ってるんだし心配するな。気持ちの整理がついたらすぐ戻ってくるよ」
駿が話している間、陸はむっつりとメニューを見ていた。
「お腹空いちゃったなあ。ナポリタン食べよっかな」
陸にしては珍しく少し不機嫌だった。
「なあ陸、もう帰りたいのか?」
「ノーコメント」
革表紙のメニューを広げ、陸は顔を隠した。
「変なことにつきあわせてごめんな」
「別に気にしてないよ。自分から来たんだし。でもさ」
ふう、とため息をつき、陸はメニューの上から目だけ出して訴えた。
「帰れっていうんだから素直に帰ろうよ、駿」
駿は気持ちが沈むのをどうすることもできなかった。
小学生の頃から自分は何も変わっていない。無力なままなのだ。

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