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ごんぎつねリベンジ 【短編小説】

あのお話で泣いてから数十年。書かずにいられない。

「で、おれ、どうして呼び出されたんっすか?」
日本で三本の指に入ると噂されるその有名なきつねは、職員室に来た不良生徒のようにふてぶてしく言った。
「署名が集まってしまったんだよ。ごん」
神様は首の後ろをもんでほぐしながら仕方なさそうに答えた。
「半世紀も前からお前を幸せにしてやってほしいという人間たちの願い事が寄せられていてね。署名が集まったら叶えてやると言ってうやむやにしておいたら、今さらというか、ついにというか、予想を上回る数が集まっちゃって」
「はあ、おれ別にもう幸せとかいらないっすよ。にっぽんじゅうが泣いた、みたいなキャッチフレーズがあると自己紹介がしやすいんで」
神様がお茶うけに出してくれた油揚げをひとくちで食べ終えて、ごんはさっさとお社を出て行こうとした。
「待ちなさい」
「おれ、忙しいんすよ。これからニックとゾロリにダンス習いに行かなきゃなんで」
「それはあれかね。北海道の球場でやるダンスかね」
「よく知ってますね。あいつらに、先輩まだ踊れないんですか?なんて言われて悔しくて…って、おれの趣味はどうでもいいじゃないっすか。油揚げ、ごちそうさんでした」
ごんの前で扉が勢いよく閉まる。
「最後まで聞きなさい」
神様はお茶をすすり、もう一度すわるようにと座布団を指さした。

「私もね、お前はとっくにキャラクター界で不動の地位を築いて毎日楽しく暮らしてますって言いたいけれどね。でも一度約束したからには願いを叶えてやりたいのが神ごころなわけ。小学校時代のトラウマは何ですかのアンケートで毎年ランキング上位にくい込んでしまうし、どうにかしないと」
ごんは急におとなしくすわりなおした。
「おれ、そんなに爪あと残してたんっすね」
「ごんは幸せになったんだとみんなに納得してほしいんだよ」
「じゃあ北海道の原野にねそべってサクラソウを育成しましたっていうオチにしたらどうですか」
「首に鈴をつけて?チロヌップで?」
「それそれ。あとは、そうですねえ。きんいろのきつねになって、きんたって名乗るとか…」
「パクリは良くないね。しかもバッドエンド担当仲間じゃないか」
「だめですかね」
しっぽの毛づくろいしつつ考えていたごんは、ひらめいた。
「あれはどうです?はじめてのおつかいで手袋を買いに行くんですよ。葉っぱをお金にみせかけて。それをカメラがそっと後ろから撮影する」
「カメラとか意識しなくていいんだよ。変なこと覚えてきたね」
「おれ、映像化を前提に自己プロデュースしていきたいんで」
神様はため息をついた。
「頼みたいのはそういうことじゃないんだよ、ごん。お前がどんなふうに生きれば人間たちが悲しまないで済むか、よく考えて生き直してもらいたいんだよ」
「転生モノってやつですか」
「事情通ぶるのはやめなさい」
ぴしゃりと言われてごんは黙った。
神様はかんでふくめるように言い聞かせた。
「いいかい、ごん。教科書に載っているお前の物語にはたくさんの人々の心をゆさぶる力がある。それは実にすばらしいけれど、別の一生をおくってみたいとは思わないかい?教科書では満たされなかった人々のために」
そうして、ごんは新しい物語をはじめることになった。

   *

村外れの神社にひとりの女がやってきて手を合わせた。
「神様おききください。医者が言うには、あたしにはもうすぐお迎えがくるようです。これでも若い頃はずいぶんやりたい放題に暴れてきましたから思い残すことはありませんが、ひとつだけ気がかりなのは息子の将来です。あたしがいなくなったら一人住まい。寂しがり屋な子です。どうかそばにいさせていただけませんでしょうか」

神様はいつもこの女が社の掃除をしにくるのを知っていた。
「そうか、お富。信心深い日頃の行いに免じて気を利かせてやりたいところだが、寿命をのばすというわけにはいかないんだよ」
「わかっております。ですから小さな獣や虫の姿でもかまいませんから、ただ息子のようすを見守らせてくださいませ。あの子がしっかりするまでの間だけ」
「なるほど。それで思いついた。この頃ごんというきつねがひどいいたずらをするので目に余る。お灸をすえてやらねばならないところだった」
「ああ、それでは取り計らってくださるのですね」
お富はよろこんだ。
「しかし、わかっているだろうが、お富。あくまでも仮の命だよ。もしも宿主になにかあれば、そのときは…」
「それでようございます」
お富は深々とおじぎをして家に帰った。

ある日、きつねのごんは村のようすがいつもと違うことに気がついた。おかみさんたちがやけに身なりを整えている。お歯黒なんかつけちゃって。お歯黒ってまじで怖いよな、と覗き見たりして推理をめぐらせた。
「なんだろう。秋祭りかな」
「祭りじゃないよ」
ふいに耳元で誰かの声がして、ごんはぎょっとしてあたりを見回した。
「目には見えないから探しても無駄だよ。今日からあたしはあんたに取り憑いた。兵十のおっかあのお富だよ。ヨロシクな」
ごんはぶるぶると震えた。
「うそだ。兵十のおっかあはついこの間、おれが草の葉の上にのさえておいたうなぎを取り返しにきて、蒲焼きにしてガツガツ食ってたじゃないかよ」
「残念ながらそれが最後のうなぎ丼になっちまったんだ」
けっけっけ、と不気味な笑い声が頭の中にひびいて、ごんは寒気がした。
「人がきつねに憑かれるのはよくあるが、人に憑かれたきつねなんて聞いたこともないぜ」
「世界初、新機能搭載型。おめでとうさん」

お富、いやお富に取り憑かれたきつねのごんは、兵十の家に向かって近づいていった。
村人たちがよそ行きの着物を着て集まっている。
「見てごらん、ごん。うそじゃないよ」
「本当だ。葬式の準備をしてるらしいな」
女たちが表のかまどで火をたいていた。
大きな鍋の中でなにかがぐずぐず煮えている。
お富はふいにかっと目を見開いた。
「あいつら、まさか死んだあたしを鍋に…」
「ばあさん、落ち着け。あれは芋の煮っころがしだ」
ごんは鼻をくんくんして、おいしそうな煮っころがしの匂いをかいだ。
「鍋に突き落とされるようなヤバいことしたのかよ」
お富はあわてて「ないない」と答えた。
「その反応は、なにか身に覚えがあるな?狸にだまされたり、いたいけな少年少女を監禁したり」
「人聞きが悪いね。カチカチ山はともかく西洋のおとぎ話と混ぜるんじゃないよ。人を魔女扱いしないでおくれ」

「まあ、あんたが確かに兵十のおっかあだっていうのはわかった。それでどうしておれに取り憑いてるんだ?この世に未練があるのか?兵十のことか?」
ごんは人目につかないように草葉の陰に身をひそめ、お富と話し合うことにした。

「おれに取り憑いたって兵十に何もしてやれないだろう」
「人間に化けて息子に会いにいけるじゃないか」
「おれ、ふつうのきつねだし。化けられないし。恩返し系の能力はないぞ」
「えっ?ない?」
お富の声が裏返った。
「ケガの手当してもらったら後日すごい美女になってあらわれるとか、小判をざくざく出せるとか、そういうのを期待してたのに。ないと?」
「ないっす」
お富は「んぐぁ」とため息をついた。
「きつね、けっこう使えると思ったんだが。やっぱり侵入するならヤモリがよかったか」
「ばあさん、おれの頭の中でひとり言うのやめてくれん?全部聞こえてっから」

ごんは森の中の巣穴に帰って寝たが、お富がぶつぶつ言っているのが一晩中きこえてよく眠れなかった。
お富は化けて出られないと知って作戦を変えようとしていた。

ごんは毎日お富に指図されて兵十の家のあたりをうろついた。
「…ばあさん、いつまでおれに憑いてるつもりなんだよ」
「あんたが死にそうになったら一回だけあたしが代わりに死んでやる。それまではずっと一緒だよ。そのうちにあんたが改心していたずらをやめるだろうって神様がおっしゃった」
「ひええ。もう改心してるよ。早く出てってくれよ」
「ところで、菜種に放火したときはどうやって火をつけたんだい?きつねは火打ち石を使えるのかい?ずっと不思議だったんだよ」
ごんはとっさには答えられなかった。目玉をぐるりと回して自信なさそうに言った。
「えっと…きつね火?」
「なんで疑問形なんだい」
「作者にきいてくれよ」

そうこうしているうちに弥助の家にいわし屋が来た。弥助のおかみさんはいそいそと戸口へ出てきていわし屋を中へ連れ込んだ。それを見たお富は目を吊り上げて怒り出した。
「あのいわし屋、どうも前から変だと思ってたが間男だったのか。道理でうちまでたどり着くころには生きの良くないいわしになってたわけだ。あんまりひどいんで誰も買わないから、あたしが残りを全部安く買い取ってやってたのに、あたしが死んでからうちには来なくなっちまって、恩知らずめ」
「ばあさんに買い叩かれていやになったんじゃないか?」
「そこまで足元を見てはいないよ」
「だったら、ばあさんが死んだから客が減ったと思って仕入れるいわしを減らしたんじゃないかな」
「そんなことしたら兵十の分がなくなるだろう。あの子の頭を良くするには、でぃーえいちえいの含まれた青魚を食べさせないと」

お富に操られるままに、ごんはいわしを五、六匹つかんで兵十の家へ走った。
「ばあさん、これは神様に怒られるんじゃないかな」
「あんたは泥棒ぎつねのくせに肝が小さいね」
お富は平然としている。
「不倫なんて悪事をはたらくやつは盗られたって自業自得だ。いいから兵十に持っていきな」
「むちゃなこと言うなあ」

しかたなく兵十の家にいわしを投げ込んだごんだったが、次第にあとのことが気になってきた。
「なあ、ばあさん。いわし屋に知られたら、兵十は疑われるんじゃないか?あんた息子を盗人よばわりされてもいいのか?」
お富は鼻息も荒く言い放った。
「兵十にはみっちりケンカ拳法を仕込んでおいた。やつが何か言ってきたら一発ぶちのめせばいいだけのことだ。あたしのしごきに耐え抜いた子にいわし屋なんかが勝てるとでも思うのかい」
お富は不敵にほほえんだ。
ごんは、もしお富が死んでいなかったらうなぎの件で自分こそぶちのめされていたかもしれないと思うとぞっとした。

翌日、お富(inごん)が兵十のようすをうかがいに行くと、兵十は頬に少しばかりかすり傷があるだけだった。
「昨日はすごかったなあ、ばあさん。兵十のやつ、バカ正直にいわし屋にいわしを返しに行っちゃってさあ。そこで半裸のいわし屋と弥助のおかみさんを発見して、不道徳だ!なんて怒り狂って、ふたりをわしづかみにして村じゅうを引き廻してたもんなあ。いわし屋は近所の連中の袋叩きにあうわ、弥助は大泣きするわ、おかみさんは逆ギレするわ、野次馬は集まるわ、まさに混沌だった」
「弥助にはかわいそうなことをしたが、まあ、人間たまには現実に向き合わなきゃならない。なんだか知らないが村の連中も盛り上がって面白かったねえ」
「人の不幸は蜜の味っていうけど、人間はおっかないなあ」
ごんはもうけっして人間にいたずらをするまいと思った。

彼岸花も盛りを過ぎて本格的に秋がおとずれ、森では栗の実がたくさん採れるようになった。
ごんは栗だけでなく松茸も採って、兵十に持っていってやるのが日課になっていた。
「さあ、ごん、もっと目をかっぴらいて探すんだよ。松茸は金になる。あたしは金が落ちていると思えば視力も上がるんだ。あんたも野生のきつねなら嗅覚を発揮せんかい。空港で活躍する警察犬のように!」
「おれ、麻薬なんか嗅いだことないっす」
「もののたとえだよ」

お富の指導のたまものか、ごんは大量の松茸を収穫できた。
「なんかこれ、多すぎじゃね?」
「兵十は正直すぎて馬鹿だから近所におすそ分けするよ。売れば金になるっていつも教えてるのに反抗ばかりする子なんだ」
そう言うお富の声は言葉とは裏腹に自慢げだった。
「おれ、兵十がどうして正直者に育ったのかわかった気がする」
ごんはつぶやいた。
「おっかあがこんなんじゃ、自分くらいはまっとうな人間になろうって思うもんなあ」
「こんなってどんなだい」
「ばあさん、あんたきっと若いころ盗賊かなんかの女房だっただろう?」
「何を言ってるんだい。あたしが盗賊の頭だったんだよ」

お富は若かりし日の思い出話を始めた。
「兵十のおとっつぁんは、そりゃもうあたしに惚れ込んでいてね。一緒になろうと口説かれて、あたしは足を洗ってこの村に隠れ住んだ。真人間だったあの人は、これから心を入れ替えて出直そうと言ってくれた。それからはひとつも悪いことはしていないよ。兵十はおとっつぁんに似て正直者だ。あたしのようにならないで良かった」
「信心深くなったのも、その旦那のためか?」
「家族のためだけじゃないよ。一度悪いことをした人間は人を信じられなくなるんだ。それは何よりも辛いことなんだよ。だからせめて神様くらいは信じたいじゃないか」
「ひねくれた人だなあ」

「見てごらん、ごん。加助がお念仏に誘いにきたよ」
兵十のところに加助というお百姓がやってきて、一緒にお念仏を唱える集まりに行こうと誘っている。
先日のいわし屋事件で兵十は、まじめで腕っぷしの強い男として村の有名人になっていた。そのおかげで信仰の厚い人々に気に入られたのだろう。
「ふっふっふ。念仏講は言ってみれば村の社交行事みたいなもんだ。あそこで信用を得られたら、うちの息子がどんだけ朴念仁でもそのうち信心深い嫁さんがみつかるさ」
「そうかなあ」
「いわしの頭も信心からって言うだろう?神様にすがる者どうしは目が曇るんだ」
「この場合、信心もいわしの頭から、じゃねえか?」

お念仏への道すがら、兵十は加助に栗や松茸を誰かが置いていくのだという不思議な話を聞かせた。
「きっと、そりゃあ、神様のしわざだぞ」
加助はそう言ってあおった。
兵十が信心深くなればこれからも熱心にお念仏に来てくれるだろう。腕っぷしが強い友達がいると何かと便利だ。
「毎日、神様にお礼を言うがいいよ」
そう言っているうちに加助は兵十のおっかあが神社の掃除をする信心深い人だったのを思い出した。やたらと威勢のいいばあさんだった。亡くなる前の日までピンピンしていたっけ。あれも神様のご利益だったのだろうかとうっすら考えた。

「加助、いい仕事するねえ」
兵十のかげぼうしをふみふみ盗み聞いていたお富は満足そうだった。村の者が兵十を気にかけてくれれば心配もひとつ減るのである。
「あの程度の仲間でいいのかい?」
「いいんだよ。心根まで好いてくれる友達なんて一生にひとりでもいれば良いほうだ。必要なのは生存確認をしてくれるご近所さんだよ」
「参考になるな」

ごんは栗を拾いながらお富に尋ねた。
「おれは誰のことも気がかりでないし、誰からも心配されたことがないから知らなかったが、これはずいぶん苦労が多いな。離れ離れになったら落ち着かないだろう?」
「そうだね」
ごんは考え込んだ。
「ばあさん、おれが死にかけたら一度だけ代わりに死んでくれると言ったよな?もしそれを断っておれが先に死んだらどうなるんだ?」
「あたしがきつねの姿で生きていくことになるだろうね。でもあんたはそんなことしなさんな」
「ばあさんが残って兵十のそばにいたほうが心配の消化効率が良くねえか?」
「もうあらかた心配は片付いた。いつお迎えがきても悔いはないよ」

栗を届けにやってきたごんは、いつもなら物置の戸口の前にそっとおいていくところだが、兵十が物置にいたので「家の裏口へお行き」とお富に指図された。
「なあ、ばあさん。もうこそこそするのはやめにしないか?このまま栗を持ってここにいれば兵十はおれたちを神様の使いだと思うぜ。息子に会いたいだろう?」
「こら、待ちなさい、ごん。中へ入ったら危ないよ。あの子は泥棒には手厳しいんだから。うなぎを盗んだのを忘れたのかい」
どういうわけか、このときお富はごんの動きを操ることができなかった。
ごんは土間に入りこみ、兵十が早く戻ってこないかと戸口の外をうかがった。
そのとき、ドンという音がして、ごんはばったりと倒れた。

兵十が火縄銃で撃ったのだ。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいた。

   *

神様はうっとりしながら供え物のいなり寿司を食べていた。
「甘さとしょっぱさの加減がじつに良い。コンビニも捨てたものではないな」
すると社の扉を開けてかわい子ちゃんたちが甲高い声で笑いながら入ってきた。
「コンにちわぁ〜!ごん先輩きてないですかぁ」
「ねえ、玉藻ちゃんのほうが年上なのに先輩って呼ぶのおかしくない?」
「え〜、でもぉ、ごんちゃん最近よくおごってくれるから先輩って呼んでおこうかなって」
「ごん先輩って実は化けられないってほんと?」
「ほんとほんと。ギャップあるよね。フォッコちゃんて、そういうの好きでしょ」
「これこれ、公共の場では静かにしなさい」
神様はかわい子ちゃんたちに注意を与えてから、それとなく尋ねた。
「今日はどこかへ遊びに行くのかね?」
「ごんちゃんとフォッコちゃんとあたしでお笑いライブ見に行くんです。歌って踊ってほがらかに〜♫」
「そうかい。ごんはなんとか元気になったようだね」
「お富さんが身代わりになって亡くなったときは落ち込んでコンコン泣いてましたね」
「ごんちゃんは生き延びて兵十と仲直りしたし、お富さんは寿命をまっとうしたんだから、ぎりぎりハッピーエンドじゃんって言ったら怒られました」
神様はごんにかわいそうなことをしたと思った。
物語がほぼ『お富ぎつね』になってしまったので、人間たちの願いを叶えられたのかどうかさえ微妙なところだ。
「どちらにせよ、絶対に教科書には載らないだろうね」

   *

「で、おれ、なんで呼び出されたんですか?」
次にやってきた男は釣り竿を礼儀正しく置いて神様の前にすわった。
「署名が集まってしまったんだよ、太郎」
「おれ、忙しいんですよ。座礁した亀を助けるボランティアしてるので」
神様は語りかけた。
「別の一生をおくってみたいと思わないかい?………

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