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恋の忘れ物・ざんねん編  【エッセイ】  

ある日、別れたばかりの恋人から電話がかかってきて
「忘れてったでしょう」
と切り出されました。
大喧嘩したわけではありません。
ただ互いに別れる利点しかみつからなくなったため粛々と相手の部屋から自分の持ち物を回収してきたばかりでした。

穏やかな別れだったとはいえ声を聞くと口の中がにがしょっぱいくらいにはダメージが残っていたので
めんどくさい話だったらどうしようと身構えました。

「茶こし」
「は?」
「茶こしが台所にあるんだよ」

私はお茶が大好きです。
元恋人はお茶には興味がなくペットボトルくらいしか買わないという人でした。
泊まったときにお茶がないのが耐えられなくて自分の分だけでも淹れたかったので、茶こしを持参していたわけです。

そんな人の部屋に茶こしを忘れてきてしまいました。

「どうする?取りに来る?」
「いや、うーん…」

高価なものでもないし、それだけを取りに行くのもなんだか変な感じです。
まだ未練があるなどと思わせたらいけないという考えも頭をよぎりました。

「いらないなら捨ててもかまわないかな?あてつけとかじゃなくて、純粋に許可をとりたくて」
「そだね。きみ絶対に使わないもんね。別に貴重品じゃないから捨てていいよ」
「良かった。怒られるかと思った」
電話の向こうでほっとしている顔が見えるようでした。

茶こしを使わない人には茶こしの値段だけでなく、
個人的な価値というか、思い入れなどがあるのかどうかも想像力の範囲を超えていたのでしょう。

使いもしない茶こしが台所にあったら次の恋人や訪ねてきた家族に見られて気まずいかもしれません。
私に未練があるわけではないということが、別れ話の最中よりもはっきりと実感できました。

おそろいのマグカップとかイヤリングの片方とかだったら、恋愛ドラマでは良いかんじにオサレなBGMが流れそうなものですが、
なんせ茶こしですから。

「そういえば、これってどうやって使うの?」
「使ってるとこ見てなかったんかい」

なんと元恋人は茶こしは茶葉があるからこそ使うということすら知らなかったのです。

別れには様々な理由がありましたが、このときほど別れて正解だと実感したことはありませんでした。
お茶をどのくらい重んじるかなんて人それぞれですが、そこまで興味も知識もないのは珍しいですね。
それ自体は罪ではないです。
気付かなかった私にもせきに、ん〜?
以下略。

「ふう〜ん。そうやって使うのか。面白そう。一回やってみよかな」
「え?」
「使っていい?」
「は?…え?…いいけど…???」

そんな色気も何もない会話で電話を終えましたが、次第にもやもやしてきました。

別にその茶こしに愛着があったわけでもないのですが、
元恋人が今から茶こしデビューをするのかと思うと面白い場面を見逃してしまった気がしました。

というのは嘘です。

私が自分の分だけお茶を淹れていたのは、生活スタイルを否定したり押し付けたりしたくなかったからというだけでなく、他人の部屋でも自分の時空を確保しておきたかったからです。

その時空が宿っている茶こしを元恋人が使い続けるということに、かすかな嫌悪感を感じてしまいました。
茶こしは意外と私の延長線上にある物体だったようです。

それ以来、茶こしを共用しても嫌ではない人とお付き合いすると決め、
別れるときは茶こしごとささやかな自分の一部を置いてこなければならないのを覚悟する
『茶こしルール』を自分に課すことにしました。

私は恋愛ドラマの主人公には一生なれないなあ、と茶こしを見る度に思うのです。
















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