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小説

 僕は映画を見る方ではなかった。しかし見ないほうでもない。それも家のすぐ近くにイオンがあってそこにイオンシネマが入っていたからだ。
 だから自由なタイミングで見に行けた。友達との遊びの一つに「今日、映画見に行こう」があった。

  一方、彼女は映画を見たことはほとんどなかったと言う。わけを聞けばどうやら彼女は岐阜の田舎育ちで、映画館が入るほどの大型ショッピングセンターは電車とバスを乗り継いで1時間ほどかけないと行けなかったらしい。
 彼女は、大学近くの喫茶店でカフェオレが入ったマグカップを両手で丁寧に包み飲みながら僕にその話をした。
 僕は、へぇと頷いて何か返す言葉も浮かばなかったからマグカップに刺さった紙ストローを指さした。
「ねえ紙ストロー、君はどう思ってる?不味くない?」
「そう?」
「うん。前はプラスチックのストローだったじゃん。僕は、そっちの方が良かった。プラスチックのストローは飲み物の味の邪魔をしなかったよ」
「紙ストローは味の邪魔をしているの?」
「うん」
 彼女は、そのかなぁと言ってストローの真ん中を親指と人差し指で挟んだり離したりしていた。そうするうちに、皺ができて頼りなくなったストローがへやへなと折れてコップの縁に倒れた。
 しばらくたって僕は、映画見に行かない?と彼女を誘った。彼女は少し驚いて、今から?と応えた。僕が頷くと彼女はまたマグカップを両手に包み、折れてしまったストローでカフェオレを一口飲んでから、いいよと言った。



 二人で映画館の渡り廊下を歩きながら、僕はカラになったポップコーンをゴミ回収用ボックスに放り込んだ。ボックスの傍に立つ映画館のスタッフが無気力に、ありがとうございました、と映画館を出ていく人達に言った。
 僕は、彼女の横顔をパッと見てからまた前を向き直し、彼女の方も向かず、どうだった?と聞いた。彼女は僕の方を見てから、僕と同じように向き直し前を向いて、うーんと唸った。
「つまらなかった」
「僕も」
「何がつまらなかったってわけではないけど、つまらなかった」
「うん。僕もそう思った」
 僕らはつまらなかった、という感想が同じだけで付きあうようになった。
 そして互いにつまらない人間だった、と知るのにも時間はかからなかった。


 僕等は別れるときも喫茶店で飲み物を飲んだ。紙ストローは以前のままだった。しばらくして彼女から、映画に行こうと誘われて僕らは映画館に行った。
 その時観た映画は覚えていない。映画を見ている最中で、彼女の眼に涙が見えたからだ。それが気になって僕は映画に集中できなかった。
 映画が終わり、僕等はシアタールームを出て暗い渡り廊下を横に並んで歩いた。
「映画つまらなかった」
「嘘つけ、泣いてたじゃないか」
「気付いてたんだ」
「ねぇ、前に映画を見たときも実は面白かったんだろ?」
 僕はいつかと同じように彼女の顔を見ずに尋ねた。彼女はしばらく黙って、飲みかけのペットボトルのコーラを左手の指に挟んでぶらぶらと揺らしていた。
「うん。あの映画は退屈だったけどつまらなくはなかった」
「じゃあ、つまらなかったのは僕だけだったわけか」
「そうね」
 渡り廊下の暗がりを抜け、眩しいほどの売店を右わきに進む。無言でエスカレーターを下る最中、前に立った彼女が後ろを振り返って僕を見た。
「ねぇ、紙ストローは確かに不味かった」
「嘘つけ」
「本当だよ。映画館の売店のカップも紙ストローでしょ?嫌だからペットボトルにしたんだ」
 映画館にペットボトルを持ち込むのは禁止だけど、と言うと彼女はつまらなそうに舌を出してから前を向いた。
 僕らは無言で別れた。もう会うことはなかった。彼女はつまらない人だったな、と思った。彼女も僕に同じ事を思ったはずだった。

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