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福田村事件 森達也:監督

https://www.fukudamura1923.jp/

この映画は物語はフィクションである。ただ、100年前に日本人9名が集団リンチを受けて死亡したという事は確かである。本作ではなぜ集団リンチが起こったのかをかなり丁寧に描いている。もちろんこれは一つの仮説にすぎない訳だが、作品に登場する福田村が100年後の今の日本と大差ない事に驚愕する。もちろんこれは、製作陣の目を通した日本の姿だが、笑い飛ばすにはあまりにも類似点が多すぎる。だからこそ、作品を見ながらどうすればあの惨劇は防げたのか考えさせられた。諌めようとした人もいた、村長も進歩的な考えの持ち主であった。それでも止められなかった。あの場にいたとして、止める術は果たしてあったのか、全体主義の恐ろしさが端的に描かれている。与しないだけでは何の力にもならないという事がよくわかる。あの場に居たとして、どうすれば良かったのか?全ての日本人が考える必要がある。
普通こうした作品はどうしても説教くさくなりがちだが、本作にはそれがなかった。物語としても質の高いものになっていた。特に感心したのは、井浦新が朝鮮人の通訳を行い間接的にその殺害に関与した事を告白する場面、彼は何と言ったのか朝鮮語で語り、何と言ったのか説明を挟まなかった。実際には後からわざわざ日本語に直したりしないわけだが、昨今の分かり易さばかり追求する風潮では、説明調で日本語訳を披露していただろう。観客に媚びない姿勢には拍手を送りたい。男女のあれやこれやを蛇足と捉える向きもあるようだが、私はそうは思わなかった。戦時中だからと言って、皆が品行方正に戦地に行った旦那の帰りを待っていた訳ではないだろう。人間は誰もが醜く自分本位である。通り一辺倒の正義なんてないという事を私たちはよく理解しないといけない。だから難しい。あの場にいたとして私に何ができたのか?一人でも多くの人に観て考えて欲しい。そんなきっかけとなる作品だと感じた。


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