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昭和ママの母親像について~自己肯定感の向上へ~


昔から『良妻賢母』とあるように
女性は、『良き妻であり、賢い母』であることが求められてきた。

私はその『良妻賢母』であろう
母に育てられた。


母は『根性』という言葉が似合う
『鉄の女、母』で、子供にも自分にも、
とても厳しかった。

結婚したら仕事を辞めるのが当たり前だった時代に育児休業制度もなく、産後すぐに仕事に復帰し、定年手前まで勤めたのだから、本当に『並大抵の根性』でなくては、生き残れなかったと思う。



今では『虐待』だと言われている事だって
何度もあったし、私は『出来の悪い子供』
だと思って育ってきた。

それは、厳しく育てられたが故の
弊害だったと思う。


私は、『自己肯定感が低く』育ったのだ。

自己肯定感が低いというのは、大人になってから知った。


先日ふと、私くらいの年代の方で
『自己肯定感の低さ』に悩んでいる方が
いるかも知れないと思った。


昔は、本当に厳しく育てるのが当たり前で
『怒られて育つ事』が当たり前だった。


近所の人だって子供達を叱っていたし、
知らないおじさんだって子供達を叱っていた。


今は『叱らない子育て』があると聞くが

結局のところ、私の『理想の母親像』は
『鉄の女、母』となっていた。


ただ、私は『鉄の女、母』と同じ『母』とは
なれない。


子供の頃、『私は愛されていない、
出来の悪い子供』だと思っていた私は、
子供に『愛しているよ、あなたはママにとっての宝物』だと言って育てている。

だから、現在、子供達は私の側にいてくれるのかもしれない。
反面教師な部分は改善し、見習うべきところは見習わなくてはいけないと思う。



ただ、『鉄の女、母』も今では丸くなり、
とても孫を可愛がる。
思慮深く、愛情深い、そして
愛情表現が苦手な女性なのだ。

子供を産んで、やっと思える。


母親という人物の大切さ、そして、辛さ。


あと、10年程の寿命は残っているであろう
『母』に、私はできるだけ感謝を言葉に
出して伝え、色々な世界を一緒に見て、
『何事もない日常』を一緒に過ごし、
『幼少期、仕事をしてくれていた母と、
一緒にいることの出来なくて寂しかった
自分』を埋めながら、親孝行をしたい。


そして、自分の心を前進させたい。
その姿を母に見て欲しいと思う。
安心して欲しいと思う。

それが自分にとっての
『自己肯定感を上げる』事になるはずだ。




いつもありがとうございます。
誰かに刺さってくれると嬉しいです。

お疲れ様です。
また、次回。