きっと神様が見守ってくれてんだよな
月曜日の朝
病院の待合室で暇つぶしに漫画でも読もうかと小さな本棚を物色していると、
「手塚治虫文化賞作家が選ぶBest of 手塚's Work」
というタイトルの大判本を見つけたので、「これ一択やろ!」という気持ちでピックアップして読み進めた。
萩尾望都、浦沢直樹、諸星大二郎、こうの史代、今日マチ子など選者の顔ぶれももちろんすごいのだけど、選ばれた作品がある意味、意外な、でも個人的には納得の作品ばかりだったのがやはり興味深かった。
というのもその中にはあのブラックジャックも鉄腕アトムもワンダー3もジャングル大帝も火の鳥も入っていなくて、その代わりに選ばれていたのは、1970年代前半に、青年誌に読み切り掲載された地味な短編集ばかりだったからだ。
漫画好きの方ならすぐに気づいたと思うが、1970年前半は、手塚治虫にとってまさに絶望的なまでに不遇な時代だった。
というのも当時は、過激な銃撃シーンやアクションシーンが売りの"劇画”の人気が隆盛を極めていて、手塚が得意としていた少年向けのSFやファンタジー物は子供っぽくて古臭いものとして扱われ、ディズニー映画の影響を色濃く受けた手塚マンガの真骨頂ともいえるあの唯一無二のエロティックで流麗な線でさえ、軟弱で女々しいものとして見下されていたからだ。
さらに手塚のアニメーションへの憧れを具現化し、日本初のテレビアニメーションを生み出した虫プロも倒産寸前の状態だった。
つまり、
「手塚は終わった」
と誰もが、いや、手塚治虫自身がそう思っていた時期だったのだと思う。
今やマンガの神様と呼ばれるような人にそんな時代があったなんて、信じられない人もいるかもしれないけれど、実際にそうだったらしい(その後、手塚はあの「ブラックジャック」で見事に復活を果たすわけだけど)
つまり、もはや世間的にはオワコンと見なされていた手塚は、それでも自分のあの丸みを帯びた美しい線を捨てて、その代わりに流行りのダイナミックで激しい劇画の線を取り入れてまでして必死に生き延びようとしたのだった。
それは一見、世の中の流行に迎合しているようにも巨匠の最後の悪あがきのようにも見えるかもしれないけど、しかし、こんな僕がマンガの神様について語るのは不遜を承知の上で言い切ってしまうと、この時期の作品ほど、
手塚マンガの持つ、あの勧善懲悪とは対極にある人間と世界に対する深い洞察力や考察に基づいた複雑で決して一筋縄ではいかないストーリー、そして、それでもなおこの人間が暮らしている世界を丸ごと愛そうとする彼の覚悟を感じられるものはないように感じられる。
そして、何よりも作品からほとばしる手塚のマンガ愛に激しく胸を打たれてしまう。
中でも、戦時下の日本で、軍人を初めとする大人たちから理不尽な迫害を受けながらも、陰でコツコツと漫画を書き続けている若かりし頃の本人の自叙伝的な作品には、もはやその愛がダダ漏れな感じである。
例えば、B29による空襲のせいで瓦礫と化した街で玉音放送を聴いた瞬間、
「これで自由に漫画が書けるぞー!」
と飛び上がって喜ぶ彼の姿はまさにその象徴である。
一方で、それは決して明るい感情だけじゃなくて、多くの人の命を奪った戦争に対する悔しさや怒りもたっぷり含まれたものだった。
実はこの本にも、戦時中のドキュメント的作品が3つ収められているのだけど、そのうちの2つによく似たモチーフが登場していて、僕はこれらのシーンにこそ手塚の戦争という暴力に対する強い反骨精神が凝縮されているように感じた。
そのシーンとは、手塚マンガと聞いておそらくほとんどの人が思い浮かべるだろう、あの美しい瞳をした少女たちの顔が銃撃や爆弾によってグシャグシャになるというシーンである。
あの時期、なぜ手塚がこれらの漫画を書いたのか、なんとなく想像はするけど、凡人の僕がそこまで詮索するのはやはり神への冒涜になりそうなので、今回はここまでにしておこう。
その代わりに、晩年の手塚治虫が石ノ森章太郎に語った言葉を紹介したい。
それはちょっと意外なこんな一言だった。
「僕が死んだら、誰も僕の作品なんか忘れて読まなくなりますよ。でも、それで全然構わないんですよ。」
うむむ、確かに僕も最近はめっきり読まなくなっていたなあ・・・。
でも、一方で、あの
「ドラゴンボール」も「幽☆遊☆白書」も「魔法少女まどか☆マギカ」も「進撃の巨人」も「モブサイコ100」も「チェーンソーマン」も「呪術廻戦」も「推しの子」も「葬送のフリーレン」も手塚治虫がいなかったら、絶対にこの世に存在しなかっただろうな、って言い切れる自分もいる。
だから、マンガの神様が見守ってくれているこの国に産まれて来れてめっちゃラッキーだなって改めて思うと同時に、こんな風に誰もが自由にマンガを楽しめる平和な世界を今後も出来る限りキープできるように、自分なりに出来ることをやっていかんとな、とピンと背筋が伸びるような気持ちになったのだった。
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