見出し画像

玩具倶楽部のおもひで

心がへこたれそうになったときは、きっと昔の楽しかった思い出を思い出せばなんとかなるはず。

うん、きっとそうさ。

というわけで、今回は、今から8年くらい前に僕が参加していた「玩具倶楽部」という名前の郷土玩具好きの人々の集会(サークル活動?)についての思い出を書いていきたい。

この会に参加するそもそものきっかけは、東京はK市にある民芸品を売っているTKというお店を偶然見つけたことだった。

当時、益子焼とか小鹿田焼とかの日本の器に興味を持ち始めていた頃だったので、「あ!民芸品を売っているなんか良さげなお店がある」と思って本当に何の気なくふらっとその店に入ったら、僕の心はお目当ての器とは全く違う物に奪われてしまったのだった。

それは、狐をモチーフにした小さな土人形だった。

江戸時代から作られている郷土玩具の一種らしかったけれど、地方の観光地のお土産物屋さんとかで見かけたその類の人形とは明らかに様相を異にしていた。

繊細な色遣い、まるで命を吹き込まれたようなダイナミックなボディライン・・・。

大げさに聞こえるかもしれないけれど、

「これはまぎれもなくアートだ。」

と、その時の僕は感じたのだった。

ちなみに店主曰く、この人形は鳥取の柳屋さんというお店(の年配の職人さん)が作っているものとのことだった。

すっかり一目ぼれした僕はもちろん迷うことなく、そのカッコいい漢狐の人形とその隣にいた小股の切れ上がった夜鷹っぽい女狐の2匹の人形を買ったのだった。

う〜ん、やはり今見てもカッコいい!

そして、それ以降、僕はそのお店に足繁く通うようになる。

もちろんお目当てはもう器じゃなくて、

中山人形、三好人形、鳴子こけし、赤ベコ、起き上がり小法師、犬張子、浜松張子、宮島張子、キジ車、鯨車、鯛車、おばけの金太などなど

の貴重な郷土玩具の品々だった。

ほどなくしてお店にあるもので自分が気に入ったモノをあらかた手に入れたと思ったら、今度は、自ら関東圏内のお土産屋さんや寺社仏閣に足を運んで、その土地土地の郷土玩具を買い集めるようになっていった。

元々コレクターの気質なんてなかったはずなのだけど、郷土玩具には、それぞれのバックグラウンドストーリーがあったから(例えば、疫病から子供を守るために作られたとか)、それが面白くてなんだか物語を読み進めるみたいにあちこち移動していたら、自然と数が増えていったという感じだった。

そんなある日のこと。

その日も、自分がゲットした戦利品について店主のYさんに報告をしていたら、突然、そのYさんから

「実は、郷土玩具好きな仲間が集まって、不定期に「玩具倶楽部」という集まりをお店を締めた後にやっているんだけど、N.O.T.Eくんもどう?」

と誘われたのだった。

もちろん断る理由なんてどこにもなかったから、僕はほとんど食い気味に

「入ります!」

と即答したのだった。

そして、記念すべき「玩具倶楽部」初参加の当日

僕はてっきり年配のおじいさんやおばあさんが来るのかなぁと思っていたのだけど、お店に現れたのは、そんな人達とは真逆の、20代後半くらいの女性二人と30過ぎくらいの男性だった。

特にその女性二人は、まるで双子みたいに見た目や服装がそっくりで、でも一人はとても物静かで落ち着きがあり、もう一人はおてんばというかめちゃくちゃトークが面白くって、この二人の掛け合いがまさに漫才みたいで僕は会うなりすっかり彼女たちのファンになってしまったのだった。

ちなみに、二人の職業はどちらもイラストレーターということだった。もう一人の男性もTシャツなどのデザインをしているデザイナーということで、思いがけず若い人たちと交流できるのは嬉しい反面、なんだか僕だけひとり場違いだな、と思っていたところに、あのKさんが現れた。

小柄で色白な彼女は、ほとんどスポーツ刈りみたいなショートヘア姿で(昔のGAOをちょっと彷彿とさせた)、誰に対してもとても気さくなのだけど、どこかアーティスト特有のオーラというか凄みを感じさせる人だった。話を聞くと、郷土玩具好きが高じて、今では小さなろくろ人形をオリジナルで作り始めたとのことだった。

これでその日のメンバーは勢ぞろいと言うことで、お店の真ん中にデン!と置かれた大きな木製のテーブルを囲んで「玩具倶楽部」がスタートした。

まず造詣の深い店主Yさんからの貴重な郷土玩具にまつわる逸話を聴講した後、あとはお酒を飲みながら思い思いのフリートークに花を咲かせた。メンバーの中で僕だけ普通のサラリーマンだったから正直、最初は気後れしていたけれど、同じ郷土玩具好き仲間としてみんなが分け隔てなくフラットに接してくれたから、気づいたら、この一回目で僕もすっかりみんなと打ち解けることが出来ていた。

お互いのブツを見せ合って
適度にアルコールを補給しながら
ひたすら愛でるべし「かわゆし…。」

その後も、僕はたびたびその会に参加して(というかほぼ皆勤賞だったかもしれない)、その間に会った人も、長老と呼ばれていたロマンスグレーが素敵なプロのバイオリストの男性や、通称コケジョ(こけし女子)のおしゃれで可愛い女の子(彼女が「これ買ってきたのよ~。」って言っていたツモリチサトというデザイナーの名前がいまだに記憶に残っている)といった魅力的な人たちばかりで、あと、僕も家族を連れて行って、まだヨチヨチ歩きの息子をみんなに紹介したなんてこともあったなあ・・・(遠い目)。

で、この玩具倶楽部のもう一つの目玉は、自分たちで玩具の絵付けをするワークショップを実施することだった。

最初はもちろんプロのイラストレーターや玩具職人たちに交じって、自分が絵付けをすることに内心ビビってはいたけれど、キヨブタでやってみたら、これが想像以上にメチャクチャ楽しかった。そもそもこちとらズブの素人だから、みんなと比べて明らかにクォリティが低くても全然凹まなかったし・・・。というか、下手だからこそアイデア勝負だ!なんて逆に発奮したくらいだった。

お気づきの通り、表紙の写真はそのワークショップで絵付けをした張子の人形たちである。

ちなみに(すぐに分かったと思うけれど・・・)僕が作ったのは右から2番目のヤツである。

あと、この人形もそうだけど、僕がワークショップでモチーフに選んだのは、ほとんどが息子の姿だった。つまり、この頃から僕は彼のことを溺愛していたというわけ(笑)

クワガタと頭にトンボ、息子の昆虫好きもこの頃から(笑)

その他にも、お正月に無印良品が発売する「福缶」(中身が見えないアルミ缶の中に商品券と全国の郷土玩具がランダムで1個入っている)をみんなで同時に開けて、一喜一憂し合うイベントとか、あえて自分たちが持っているモノの中で一番イケてない郷土玩具を持ち寄って、イケてない郷土玩具NO.1を決める大会など、本当に楽しい思い出ばかりだった(ちなみに、このとき栄えあるNO.1に選ばれたのは水戸の農人形だった)

水戸の農人形

けど、そんな楽しかった宴も3年ほどであっけなく終わってしまった。みんな仕事が忙しくなったこともあるけれど、あのはっちゃけムード―メーカーの女の子が北海道の漁師の元に嫁いで、東京からいなくなったのが一番大きかったように思う。

そして、あれから会わなくなってからも、みんなが頑張っている様子をたまにネットで拝見したり、Yさんから聞くたびに、本当にまるで自分のことのように嬉しくなってしまう。

特にKさんというかK先生(当時からメンバー最年少なのに知識も豊富で風格もあった彼女のことを僕らはK先生と呼んでいた)は、すっかり売れっ子作家さんになってしまって、なかなか顔を見ることすらままならなくなってしまったけれど、頑張り屋さんの彼女のことだからあまり頑張りすぎて体調を壊さないようにって、まるで親戚のオジサンみたいにいつも陰ながら祈ってもいる。

K先生が作った今年の干支人形

そんなみんなと比べて、果たして今の僕はどうだろうか・・。

正直、その後、にっちもさっちもどうにもブルドックな組織の中での人間関係に想像以上に翻弄されてしまって、というか、自分が努力すればするほど他人からの悪意(ほぼ殺意)にさらされてしまうことが多くなってしまい、今だってまさに

「特定の人(しかも割と社会的な地位が高い人たち)からこんなにも毛嫌いされてしまう僕に果たして生きている価値なんてあるのだろうか・・。」

などという不毛過ぎる自問自答をしているところだったりする(まあそもそも全ては営業の最前線から自ら手を挙げて閉鎖的な間接部門に異動した自分のせいなんだけどね。)

けど、たぶん、それでも、今もしみんなと会えたら、それこそちょっと鼻の穴を膨らませながら、

「いろいろあったけど、僕もめちゃくちゃ頑張っているよ~!」

って胸を張って言える自分がいる。

そして、もしまたみんなと絵付けが出来たなら、もちろん技術はこれっぽっちも進歩してないけれど(苦笑)、あの頃よりもっと自分らしい深みがある作品が作れる予感もしている。

だから、「絶対に叶う」そのときまで、どんなに辛くてもこれからも諦めずにこんな自分をちゃんと貫き続けて生きて行きたいって思っている。

だって、どうせみんなと再会するならば、

とびっきりの笑顔

で会いたいからね!


この記事が参加している募集

沼落ちnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?