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東京は冬日和

物想いに沈んでいる表情が良い、と言ってくれた。私はその言葉にびっくりして、じっと彼を見詰めていたようなような気がする。

その時までの私の世界は、きっと、原色だったろう。けれど、その原色は渋いニュアンスのある色に変わろうとしていた。一人の男の出現によって、季節がくっきりと区切られていくのを、密かに自分の中に感じていた。私、20才、彼、27才。冬の終わりの頃だった。

(荒木陽子「愛情生活」より)

ぽて、と。

いや、

さて、と。

僕の手元には今、一冊の映画パンフレットがある。その横長ではがきサイズのちいさなパンフには、夫婦と思しき男女のセピアカラーの写真とその隣には青地をバックに手書きの文字で

東京日和

と小さく書かれている。

実はこれは昨日、僕が行きつけの、僕が大好きな脚本家のドラマのタイトルから店名が付けられた某古本屋さんでたまたま見つけて100円で購入したものだ。

写真家の荒木経惟とその妻の陽子さんをモデルにした竹中直人監督のこの作品を、公開当時、大学4年生だった僕は広島市内のミニシアター(確か東千田のシネツイン)で観ていたはずだ。

映画の中のヨーコさんが僕がアラーキー氏や彼女自身の著作から想像していた陽子さんのイメージとあまりにもかけ離れすぎていて、というか、明らかに頭がおかしい女性として描かれていて、

「え〜、こんな人じゃないよな〜」とひたすら困惑していたのが一番記憶に鮮明な思い出だ。

でも、主人公のカメラマンとヨーコさんが歩き回る東京の風景

二人が住む大きなベランダがあるお家のインテリアがとても素敵だったこと

もまたとても強烈に印象に残っていて、今、思うと、

東京散歩とインテリア

という僕の長年の趣味の原点はもしかするとこの映画だったのかもしれない。

などと、冷静に分析している風を装いながら、実際はこのパンフのページをめくりながら、

「これは参ったなあ…。」

と変な汗をかいている自分がいる。

理由ははっきりしていて、それは僕の別れた妻の名前が

ヨーコ

であり、しかも彼女の容姿がそのヨーコ役の女優さんに似ていたからだ。

例えば、この写真の彼女なんか、思わずギクリとするくらいよく似ている。

さらに、ちょっと精神を病んでいるところまで同じだったりする。

映画の主人公は、それでも一途にヨーコさんを死ぬまで愛し続けるのだけど、僕の場合は、いつまでも変わらず自分の殻に閉じこもる彼女にしびれを切らし、いつしかそんな彼女に苛立ちをぶつけるようになってしまった。

でも、今、振り返ると、当時、30代前半の働き盛りで、仕事を通じて今まで知らなかった様々な世界を見聞した気になっていた、つまりは調子ぶっこいていた僕も、実際には何も見えてなかったし、彼女と同じように何も変わってなかったことが、痛いほど分かる。

にもかかわらず、あのときの僕は自分の単なるわがままを大人の主張だと勘違いして、身勝手に彼女に別れを告げた。

そして、正式に別れることが決まったときのワッと泣き出した彼女の姿が今も網膜の奥に張り付いて離れずにいる。

物静かな彼女は、いつも黙って、僕の隣を寄り添うようにして歩いてくれた。

晴れの日も雨の日も風の日も嵐の日も雪の日も。

ときどき、僕の変な歩き方を見つめては、クスリと笑うのが癖だった。

そんな彼女との思い出はどれもこれも静かなものばかりだけど、唯一、お互いになんだか明るく笑いあった出来事があって、今ではそれが僕にとっての彼女との一番の思い出になっている。

それは双子の弟の結婚式のためにふたりで京都を訪れたときのことだ。

式場に集う大勢の人たちを前に人酔いして気分が悪くなった彼女を連れて、僕らは二次会を諦めて夕方18時前に東京行きの新幹線に乗り込んだ。

駅チカでドライカレーやらお弁当やらデザートやらしこたま買い込んで。

すると、それまでの緊張の糸が切れたせいだろうか、そのときの彼女はいつになく饒舌で、そして、顔をほんのり赤くしながら、キラキラとした笑顔を何度も見せてくれた。

美人だとは思うことはあったけど、彼女のことを可愛いと思ったのは、もしかしたらこのときが最初で最後だったかもしれない。

本当はあんな風に可愛い笑顔を浮かべられる女性だったのに、どうして僕はもっとたくさん彼女を笑顔にすることが出来なかったのだろうか。

そして、今年もモスグリーンのコート姿の彼女が吐く白い息に見とれていたあの季節がやって来た。

もう思い出すことなんてほとんどないけれど、きっとどこかで幸せになってることを今も無責任に祈ってるよ。


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