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なりたい自分

『中学聖日記』
教師と生徒のラブ・ストーリー。
知っていたのはそれだけ。

Amazonプライムでタイトルを見つけ何気なく視聴し始めたのだが、立ち所に全話見切ってしまった。抗い、惑い、苦しみながらも純愛をつらぬいた二人に終始目が離せなかった。



放送当時の六年前、私も晶と同じく中学三年生。生まれてきたことを後悔し、誰のせいにもできず、ひたすら消えてしまいたいと本気で願っていた15の秋だった。タイトなスケジュールで手術・入院し退院後ろくに休まず学校へ復帰。生徒会長だったのに学校を休みがちになり、食欲も落ち、気分の浮き沈みに左右される生活が続いた。

ボロボロの私でも見離さずそばにいてくれた家族や先生、友人のおかげあって、息も絶え絶えに第一志望の高校に進学することができた。かつての安定した精神状態を取り戻せるまでに幾度となくつまずいたが、少しずつ時間をかけて、回復していった。
「私、もう大丈夫かも。」
そう思えるようになるまで六年かかった。




大学三年生になりゼミや就活ガイダンスも始まってくる中、六年越しに見れた『中学聖日記』。将来をうまく想像できない今の自分に大いに勇気をくれた。この感動を代弁してくれている素晴らしい記事を見つけたので貼っておく。

●手放すことで手に入れた、本当の「なりたい自分」

「なりたい自分があって、その前の前に今いると思ったら、行きたい学校見えてこない?」

 志望校を決められない晶に、聖は先生らしくそうアドバイスする。この言葉は、のちに晶が大人へと成長していく上での指針となっていくのだけれど、同時に聖にとっても重要な示唆をはらむものとなった。『中学聖日記』は教師と生徒の恋を描いた作品であると同時に、監視と批判ばかりがエスカレートする現代社会で、うまく自分を肯定できずにいた聖と晶が「なりたい自分」を見つけていく物語でもあったのだ。

『中学聖日記』は「なりたい自分」を模索する物語だった 有村架純×岡田健史の名演に寄せて〈一部抜粋〉


希望する将来を実現するために今何をすべきなのか逆算して考えろ。今後を決める岐路に立った際の常套句だ。

なりたい自分があって、
その前の前に今いると思ったら

この言葉も意味はほぼ同じだろう。でも、噛んで含めるように晶へ語りかける聖ちゃんのやわらかな言い回しが私には飲み込みやすかった。

なりたい自分。どんな自分だろう。

ここ数日で内省してみたところ私の中では「家庭を築いている自分」がゴールのようだ。

よほどのことがない限りパートナーは男がいい。こどもは絶対に二人以上。一人産んでその後できなかったら養子を取る。絶対にひとりっ子にはさせない。

二人以上育てるとなると当然お金が必要だ。独身時代にできるだけ貯金しようとは思うが、出産と子育ては女親が主体となるのは避けようがないので旦那さんに稼いできてもらわねば。つまり、将来性のある男性を射止めなければならない。書いていて嫌になってくるが、人生の荒波を共に乗り越え支え合うたったひとりの戦友なのだから妥協するのはナンセンス。吟味に吟味を重ね、この人なら間違いないという至極のパートナーを見つけねばならない。

少なくとも一人目のこどもは二十代のうちに産んでおきたいので、結婚は早ければ早いほどいい。交際し始めてから結婚に至るまでどのくらいの時間を要するのか見当がつかないが、大学時代に出会った人と結婚するのが妥当だ。ああ、すでにカウントダウンは始まっている。あと二年もない!

わたしのなりたい「家庭を築いている自分」に近づくために今すべきこと、それは出会いの場に行くことってことですか、聖ちゃん。

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