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sakura、淡路、その後の気づき

まだ寒いとき、リトルカイトと、

「桜が咲いて、暖かくなったらまた淡路行こうな」

という約束を、先週の土曜日果たしました。


うってつけのお天気で、
最高のシチュエーションの中、
桜がはらはら散るのをぼんやり眺めるのが最高でした。
ハンバーガーもおいしかった。

前回の記事から
淡路・洲本の桜

<最近フォローして読んでくださってる方へ^^>
わたしの記事にはちょくちょく、「リトルカイト」というキャラクターが、絵も含め登場します。
「リトルカイト」とは何ぞや!?とご興味を持たれた方は、過去 ↓の記事をぜひ^^
一言で言うと、「インナーチャイルド」「ハイヤーセルフ」「ウニヒピリ」と名称されている、潜在意識です。自身の感覚から、ハイヤーセルフや、ウニヒピリが近いような気がしています。ちなみにリトルカイトと名づけてくださったのは、いつも笑いあふれる素敵な記事を書かれるぷるるさんです。

そう、楽しかったはずなのに、
わたしは何となくしっくりきていません。

はて?なぜだろう?

ブログを書き、アップして、いつもリトルやあーちゃんを好意的に受け止めてくださる方たちから、

「吹っ切ってくださいね、あーちゃんを出してあげてくださいね」
(人に見られないように、IKEAの特大エコバッグに隠していた)

そんなニュアンスに近いコメントをいただきました。

本当にいつも、ぬいぐるみのあーちゃんを肯定的にコメントくださる。

でも、わたしは、そのニュアンスを、
リトルから受け取ったような気持ちがしたのです。


その翌日か、翌々日後、胸をざわつかせるアクシデントが起こりました。

その事象について、湧きあがった感情を言葉に置き換えると、

「言ってることと、やってることが違う」


という苛立ちでした。
でも、激しい怒りがわいたわけではないから、スルーしていたのです。


それから二日後の朝、わたしは電車の中で、はっと気づいたのです(遅)。


言ってることと、やってることが違うのは、わたしのほうだ。
わたしこそ、やった!

わたしの記事の中に、こちらもちょくちょく登場する
バイロンケイティのザ・ワーク。
ワークの中に落とし込むと、まさにどんぴしゃだったのです。

言ってることと、やってることが違う、とリトルが苛立っています。
何を苛立っているのか、それはすぐにわかりました。

淡路いったときに、あーちゃんを恥ずかしいもののように、
隠していたことです。

2019年からのわたしの癒し(相棒といってもいい)、
何よりも大切で宝物で、
お金をつまれても交換できない唯一無二の存在です。
災害で避難するときは、一番に抱きかかえる計画です。

それほど大切な存在を、連れ出していくはいいものの、
人に見られないようにフェイクする。
ならばいっそのこと、連れ出さなければいいのに。
中途半端このうえない。

リトルはそれを訴えているのだと感じました。
あーちゃんを恥ずかしいと思っている、、、。
自分の相反する想いがずしんと腑に落ちたとき、
涙がこぼれてきてしょうがありませんでした。

その日、帰ってワークした紙をファイルしようとしたとき、
前回セラピーしたときの、先生の言葉をメモした紙が、
ふわっと偶然ふってきました。

「みっともないのは、自分を偽ること」

あーちゃんを、恥ずかしいと思っていませんか?


そこに、いびつさを感じること自体が、リトルと一致できていないんだと改めて痛感しました。

リトルもあーちゃんのことが大好きなのは、
わたし、ちゃんとわかっています。


次に、淡路に連れて行ったときは、人が通っても慌てて隠すなんてことはしないでおこう。

リトルに約束します。

ぎょっとしたような顔をされても、通りすがりの人に何を思われようと、別に大したことではない。

むしろ、隠して、わたしの大切な存在を傷つけるほうが罪。

これが、わたしなのです。

前回間に合わなかった桜を見ているイラスト。
わたしが寒がりなもんで、服装が重い☺

この備忘録書くことで、セルフセラピーができたみたいです。
めちゃくちゃ涙が出ました!

まいど、あーちゃんです!
アーラー姉妹

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(トップの画像は明石の桜です^^)






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