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イスパニア日記④ セビリア

アンダルシアの美しい街セビリア


グラナダを後にして、セビリアへ。

セビリアはアンダルシアの州都。人口は69万人ほど。街のサイズ感は日本の静岡市が近いかもしれない。都会過ぎず田舎過ぎず、なかなか良い街だ。今はスペインの一地方都市になっているが、実はスペインが中南米植民地との貿易で大繁栄していた近世には、当時ヨーロッパでも随一の繁栄ぶりを見せた港湾都市である。その理由は中南米との植民地貿易をこの港町が独占し、多くの富がこの街に集積したためだ。
海からかなり内陸にあるが、グアダルキビル川が広く緩やかな流れであるため、船は容易にセビリアまで遡上することができたらしい。

また実はセビリアは日本とも繋がりがある。特に私の故郷宮城県仙台市とは歴史的に繋がりがある。特に姉妹都市ではないけど。
17世紀初頭の江戸時代初めに、奥州仙台藩主伊達政宗は家臣の支倉常長を筆頭にスペイン及びイタリアのローマに外交使節を派遣した。これが「慶長遣欧使節」である。
使節の目的はスペインとの貿易交渉のためとされる。他にもスペインの助力で天下統一を狙ったとか、色んなことが囁かれているが、慶長大地震の復興財源の調達を貿易に見出したのではないかとされ、それは説得力があると思う。
使節はスペインとローマで盛大に歓迎され、交渉は順調に進むかに見えた。しかし使節が欧州を訪れている最中に、日本では幕府によってキリスト教の禁教令が出され、キリスト教の聖職者が追放または処刑される事態になってしまう。7年の歳月をかけ欧州との間を往復した支倉常長一行は、結果として貿易の交渉はおろか、何の成果を出すこと叶わず失意の中帰国することになる。
しかし仙台市にはその時に持ち帰ったとされる重要な史料や絵画が残されており、ユネスコ記憶遺産並びに国宝や重要文化財として保管されている。それが支倉常長画像とローマ市民権証書、その他数点の史料である。
来年春に改修を終えリニューアルオープンする予定の仙台市博物館では、これらの史料を展示するはずなので、機会があればぜひ仙台まで足を運んでいただきたい。

話をセビリアに戻そう。セビリアの名前は日本だと「セビリア」と呼ばれるが、スペイン語だと「セビージャ」「セビーリャ」「セビーヤ」などになる。どれも正しい読み方なので、好きな呼び方でオッケー。
ちなみにスペイン語ではLLAの読み方が「ジャ」「リャ」「ヤ」の三種類あるためこういうことが起きる。これは国や地方、はたまた個人の好みだったりする。スペイン語の難しいところだ。多くのスペイン人は「ジャ」と読んでいるので、僕もスペイン語では「ジャ」と読むことにしている。この日記ではよりわかりやすい「セビリア」で解説する。

また前回のグラナダと同じような諺がセビリアにもある。
それが、「セビリアを見たことがないものは、素晴らしいものを見ていない」“Quien no ha visto Sevilla, no ha visto maravilla.”だ。
例によってこれも語尾が一緒のSevillaとmaravillaを使った言葉遊び。
どの国にもダジャレみたいなのはあるんですね。


宿泊地


今回のセビリアは合計三箇所に泊まった。
一箇所目はユーロスタートーレセビリアだ。こちらは高級感あふれる大きなホテル。今回の旅では一番グレードが高いホテル。しかしラッキーなことに今回はそれなりの値段でかなり良い部屋に泊まることができた。なぜかはわからない。
昼も夕も夜も眺めがよく、朝ごはんも美味しかったので、とても満足。
またこのホテルはセビリアで多分一番デカい建物で、ショッピングモールに併設されている。川沿いの高い建物が何もないところにドカンと建っていて、目立つというレベルを超えて悪目立ちのレベルである。ヨーロッパ人は景観とか気にしてそうなのに、こういうのを作るあたりヨーロッパのセンスはたまによく分からない。

セビリアに突如現れる巨大高層ビル。かなり目立つ。
ホテルからの夜景は美しかった


二箇所目はセビリアのバスターミナルの近くにある貸しアパートだ。こちらはシンプルながら設備が整っていて良かった。冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、一台のベッド、一台のソファベッドがあって過ごしやすかった。
ここに泊まった日は近所のスーパーで買い込んで友達と二人惣菜パーティをしたので、その模様も後で書いてみようと思う。

三箇所目は、セビリア・サンタ・フスタ駅近くのホテル。シンプルで少し古めのホテルだったが、十分な設備だった。ただ、壁一面に女神の顔みたいな謎の絵が描かれていて、夜中暗い時に目が合うと軽い恐怖だった。
朝食はまあまあ。


次にセビリアの観光名所巡りを。

セビリア大聖堂

セビリアといえば、まずはセビリア大聖堂。スペイン国内で最大ともいわれる大聖堂だけあって、大きさは圧倒的であった。
塔もあり、こちらは登れるのだが、スロープがめちゃくちゃ長くて、塔からの眺めよりもむしろスロープの長さが印象に残ってしまった。
大聖堂は巨大かつ豪華絢爛。かつてセビリアがスペイン最大の港湾都市として繁栄していたことを物語っている。中南米を開拓・略奪し、その莫大な富をスペインにもたらした大西洋貿易。セビリアの繁栄ぶりは、おそらく想像を絶するものだっただろう。
このセビリア大聖堂では、大西洋貿易の立役者とも言える冒険家クリストファー・コロンブスの棺がある。イタリア生まれの彼だが、スペインの繁栄に尽くし、そして死んだ。その功績を讃えられ、今でも破格の扱いでセビリア大聖堂の中に堂々と棺が安置されている。その扱いはまるで王のようである。
後の世に生きる我々は、彼がスペインやヨーロッパにもたらした莫大な富のことと同時に、中南米において彼が残した傷跡についても知らなければならない。もちろん今の価値観や感情で彼の行為を一方的に断罪することはあまり意味があることではない。良し悪しのみにこだわることは、かえって歴史に学ぶ意味を薄める。重要なのは、中南米の原住民に対し、スペインからの侵略者(コンキスタドール)によって多くの略奪行為や虐殺が行われたと言う歴史的事実と、それらが中南米植民地貿易の負の側面として存在しているという歴史を知ることである。
しかし現在において中南米の多くの国が、スペインという国に文化的かつ人種的にルーツを持つという点で、彼をはじめスペインからの冒険家や移民という存在は、やはり中南米の歴史やアイデンティティを語る上でなくてはならない存在である。それらを含め理解を深めることは重要である。

セビリア大聖堂の内装。とにかく巨大だ。
豪華な祭壇は、往時のセビリアの繁栄を偲ばせる。
冒険家コロンブスの棺。まるで王の墓だ。


国立古文書館


実はセビリア、先ほども述べた通り日本をはじめアジアとも関わりがある。
この古文書館では、スペインが保管する古文書を保管しており、その一部を見ることができる。ただし展示自体はかなり少なく、この時も数点のみの展示だった。
しかしこの時は家康の書いた朱印状や、明王朝の地図を見ることができたので、とても満足だった。
ここでは仙台藩関係の史料も保管しているらしく、運が良ければ支倉常長の書状も見ることができるらしい。同郷の日本人が400年前スペインに来て、同じ場所を見たかもしれないと思うとワクワクする。歴史の醍醐味だ。

(多分)家康の朱印状
古文書館の内装は美しい。悪いが私の顔は伏せさせてもらった。


セビリア考古学博物館

私がセビリアで最も興奮した場所。セビリアは近世の繁栄に着目されがちだが、実はローマ帝国時代の遺跡がある。それがローマ時代の邸宅跡で、発掘された邸宅の跡を見ることができる。主に邸宅のタイルや装飾品などが展示されている。
時代ごとに特徴があり大変興味深い。たとえば最初は幾何学模様であったのが、キリスト教が普及してくるとタイルに十字架があしらわれるようになる。ただのタイルだが、生活に密着してるがゆえに、時代の写鏡でもあるようだ。

この考古学博物館は地下にあるのだが、地上は特徴的な形のモニュメント「Setas de Sevilla」(セビリアのきのこ)がある。Googleマップではメトロポール・パラソルという名前になっている。
このモニュメントはキノコのような、あるいは金沢の鼓門のような独創的な建物でとても人気。行列ができていた。しかし考古学博物館は人がかなり少なかった。落ち着いて見れたのは嬉しいが、歴史好きとしては少し寂しい気持ちになる。

考古学博物館直上の独創的なモニュメント。人気観光スポット。
タイルが展示してある。保存状態は良さそう。
ローマ時代の家の庭跡。豪華なタイルで装飾されていた。


サンタ・パウラ修道院


16世紀に建てられた修道院。一般客も入れる。
修道女の方が我々に教会の歴史などを解説してくれるが、スペイン語が分からないとかなり難易度は高め。ただ、とても綺麗で静寂の修道院なので一見の価値あり。
カトリックの修道院ではありながら、イスラームの影響を受けたムデハル様式も建物の装飾に入っており、中世から近世にかけ、キリスト教国がかつてのイスラーム王朝の影響を受けていたことを感じることができる。
この修道院では手作りのジャムやお菓子を売っている。ジャムは少し高いがとてもおすすめ。オレンジジャムは美味しかった。他にも豊富に種類がある。

スペイン広場


実はここがセビリアで一番良かった。美しく巨大な建造物は、1929年の万博に合わせて作られたもの。
建物自体は新しいが、アンダルシアの建築様式をここでもかと詰め込んだものとなっており、その優美で壮麗な建物に感動する。またここは公園になっており、あちこちで楽器を演奏したりフラメンコを演じている人たちがいたりして、タダで色んな芸術を楽しめてしまう。
ここは元から行きたいと思っていたが、行ってみてとても感動したので、ぜひ行ってみてほしい。
また歴史好きなら、スペインの主要都市を代表する歴史的場面をタイル絵にして並べてあるので、それを巡ってみると楽しいかも。

スペイン広場は美しい
スペイン各地のタイル絵がある。歴史的場面を描いたタイル絵に大興奮。この場面はおそらく1492年のグラナダ無血開城。
建物がとにかく美しい


次にセビリアで食べたグルメを紹介しよう。

スペイン料理レストラン


ユーロスターホテル近くのレストランだ。
ここはホテルのコンシェルジュに教えてもらって行った。美味しかった。アヒージョは少し塩が足りない気がした。ポテトサラダはとても美味しかった。生クリームが入っているのは分かったが、隠し味が気になるところ。
またデザートのチョコレートケーキはとても美味しかった。とろけるような絶品チョコレートにほっぺたが落ちた。
この店で良かったのは、店員の接客の良さ。黒人のお兄さんが対応してくれたが、とても愉快で気持ちが良い接客だった。「スペイン語を勉強している」と言ったら「上手だよ!」と褒めてもらった。小さいことだが・モチベーション維持には必要な言葉である。

ポテトサラダは絶品だった。
チョコレートケーキも絶品。アンダルシア風の皿も良かった。


エルコルテ・イングレスのレストラン


ある日のお昼はデパートの食堂で食べた。店員におすすめされたのが、エルコルテ・イングレス特製の野菜パエリア。これがとても美味しい。野菜が入っていて、上品な旨味が特徴的。何に由来する旨みなのかわからなかったが、旨味の正体は鶏肉かうさぎ肉かもしれない。

エルコルテの野菜パエリアは旨味の詰まった逸品


街のカフェテリアの朝食


街のカフェテリアでの朝食は、スペインでは定番である。私はサンドイッチを頼んだが、とても美味しかった。友達はチュロスとホットチョコラテ。少し分けてもらったが、チュロスはサクサクで軽く食べやすかったし、チョコラテはココアのようでこちらも食べやすかった。チュロスをチョコラテに付けて食べるのが定番だが、この軽さなら朝もいけるかも!と思えるような美味しさだった。

ペルー料理


セビリア最後の食事はペルー料理だった。ここも印象的だった。結論から言うととても美味しかった。
まずはチャーファ。いわゆるチャーハンである。しかしこれが美味しい。八角がきいていて、パラパラである。中華移民がペルーに持ち込んだからペルー料理と化しているのだと思う。
もう一つは名前の分からない謎の料理。簡単に説明するとカルボナーラ中華炒め載せである。アジア人とイタリア人は逆立ちしても思いつかないような料理だが、これもなかなか美味しい。クリーミーなカルボナーラと油でサッと炒めた中華炒めが絶妙にマッチしていた。この店は料理が美味かったので、どちらも分けて食べても美味しいとは思う。謎の合体を遂げた料理に出会えるのも、海外旅行の醍醐味であろう。


チャーファ。いわゆるチャーハン。
名称不明。カルボナーラと中華炒めの合体だがなかなか美味。


セビリアはとても良かった。スペインでもおすすめしたい街。スペイン広場はぜひ行ってみてください。

次はセビリアから日帰りで訪れたコルドバを紹介しようと思う。


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