アナログ派の愉しみ/音楽◎ホロヴィッツ演奏『カルメン変奏曲』

そのとき
かれはニヤリと笑った


開いた口がふさがらない。ウラディミール・ホロヴィッツが『カルメン変奏曲』を演奏する姿だ。1903年にウクライナの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、キエフ音楽院を卒業後、ソ連内外で活発な演奏活動を繰り広げ、1940年からはアメリカに居住して、大指揮者トスカニーニの娘と結婚し、世界で最も有名なピアニストとして君臨する。そんなかれは、ビゼーのオペラ『カルメン』の第二幕冒頭「ジプシー・ソング」にもとづく変奏曲をみずから作曲して、しばしばコンサートのアンコールで披露したが、1968年のカーネギーホールにおけるライヴ映像『ホロヴィッツ・オン・テレビジョン』にも収められている。その演奏風景を目の当たりにすると、だれでも言葉を失うに違いない。

 
このとき、ホロヴィッツは全盛期終盤の64歳。満場の聴衆を前に、ステージで演奏されたのはつぎのような曲目だった。

 
 ショパン:バラード第1番、ノクターン第15番、ポロネーズ第5番
 スカルラッティ:ソナタ ホ長調、ソナタ ト長調
 シューマン:アラベスク
 スクリャービン:エチュード 嬰ニ短調
 (アンコール)
 シューマン:トロイメライ
 ホロヴィッツ:カルメン変奏曲

 
前段のショパンの三曲では厳しく研ぎ澄まされた打鍵があたりを払い、一転して、スカルラッティでは軽妙な機知を振り撒き、シューマンでは繊細きわまりない幾何学模様を描き、スクリャービンでは原色のリズムを爆発させて結ばれる。こうして正規のプログラムを終えたのち、聴衆の期待に促されて、アンコールとしてまず定番の『トロイメライ』で「おやすみなさい」の挨拶を送ってから、場内が固唾を呑むなかで、その長い両腕が一閃して『カルメン変奏曲』がはじまった。10本の指が水平のまま鍵盤をまさぐり、毒蛇が鎌首をもたげて獲物を狙うかのように音が紡がれていくと、グランドピアノを囲んでジプシー(ロマ)の娘たちが踊り狂う幻影が出現して、壮絶なクライマックスを築きあげるのだ。最後の和音が鳴り渡った瞬間、万雷の拍手喝采を浴びながら、ホロヴィッツはニヤリと笑った。

 
まっしぐらに人間精神の内奥に迫った峻厳な音楽と、サーカスの曲芸さながらのアクロバティックな音楽が同居して、まじめもふまじめもない、めくるめくこの魔法の世界は一体、なんだろう?

 
近代ロシア文学の扉を開けた貴族作家、アレクサンドル・プーシキンに『スペードの女王』(1833年)という不思議な小説がある。冬の夜が長いペテルブルグ。ドイツ人の工兵将校ゲルマンは同僚たちとのおしゃべりで、ある老いぼれの伯爵夫人がトランプ賭博の「ファラオ」の必勝法を知っていると聞きつけ、彼女と同居する純朴な養女を欺いて屋敷に忍び入り、深夜、相手をピストルで脅して秘密を聞きだそうとしたところ、ひと言もないまま死なれてしまう。だが、数日後、伯爵夫人は幽霊となってゲルマンの前に現れ、養女と結婚することを条件に、必勝のカードは「3、7、A(エース)」の三枚だと告げる。さっそく賭場へ出向いたゲルマンは教えられたとおり賭けて大儲けしていくが、最後に出した「A」のはずのカードが「スペードの女王(クイーン)」に化けていた。

 
「その瞬間、彼にはスペードのクイーンが目を細めて、にやりとほくそ笑んだような気がした。異様なまでにそっくりな表情が彼に衝撃を与えた……。『婆さんだ!』彼は恐怖の叫び声をあげた」(望月哲男訳)

 
かくてゲルマンは破産して発狂に至るのだが、それはともかく、わたしはトランプのスペードのクイーンとなってほくそ笑んだ老伯爵夫人のありさまが、あのステージ上で『カルメン変奏曲』を弾き終えたあとのホロヴィッツの顔つきと二重写しになって見える気がするのだ。革命以前のロシアの貴族文化がひそかに伝承してきた魔法は、稀代の名人ピアニストによって受け継がれ、その1989年の86歳での死をもって永遠に人類から失われたのではないだろうか。
 

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