アナログ派の愉しみ/音楽◎ヴェルディ作曲『オテロ』

嫉妬とは
愛の別名なのか


ムーア人ながらヴェネツィア海軍の将軍でキプロス島の総督もつとめる、オテロ。おりしも大嵐のもとでトルコ艦隊を打ち破って凱旋した夜、勝利の美酒に取り乱した副官カッシオを叱責したのち、そこへやってきた新妻デズデモーナと愛の二重唱をうたい、熱い口づけを交わす。

 
 死よ、くるがよい!
 そしてこの抱擁の恍惚のさなかに
 最高の瞬間に私を捉えるがよい!
 (鈴木松子訳)

 
イタリア・オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディの代表作のひとつ、『オテロ』第1幕のフィナーレで、英雄オテロの幸せの絶頂を活写した場面だ。このあと、悪の化身イアーゴの策謀により(上記の酒宴でカッシオに不祥事を働かせたのが手始めだった)、デズデモーナとカッシオの仲をめぐって疑惑の種子を蒔くと、たちまち枝葉を繁らせ、不信に駆られたオテロは栄光の座からまっしぐらに奈落の底へと転落していく……。

 
16世紀イタリアの作家ジラルディによって書かれた、ムーア人の軍人による妻殺しの実話をもとづく大衆小説『ヴェネツィアのムーア人』(1543年)が広汎な読者を得て、これに目をつけたイギリスのシェイクスピアが舞台上演のための『オセロ』(1602年)に作り直して四大悲劇の一角をなすに至り、それから約270年後に作曲家でもあるアリーゴ・ボイートが台本をまとめたものの自分の手にあまり、すでに引退のつもりでいたヴェルディが代わって作曲にあたって『オテロ』(1887年初演)が完成した。こうして時代や国境を超えて再構成が積み重ねられるうち、歳月をかけてワインが熟成するのと同様に、嫉妬という主題が純化していったように見える。

 
歴史的な経緯だけではない。この仕事に取りかかったとき、66歳のヴェルディは熱愛の末に結ばれて長年連れ添った妻ジュゼッピーナがいながら、21歳年下の歌手テレサ・シュトルツとのあいだに老いらくの恋を咲かせていた。となれば、こちらは否応もなく老境に分け入っているのに対して、相手は女ざかりのまっただなかにあるわけで、まさしくオテロが若いデズデモーナに向けた眼差しはかれにとっても他人事ではなかったろう。嫉妬の主題をめぐって空前のオペラが誕生したのには、そんな事情も作用していたはずだ。

 
言うまでもなく、嫉妬とは人間にとっておよそ最も非生産的でありながら、最も神経を高ぶらせてやまない感情だろう。わたしもさんざんこの毒蛇の牙に咬まれた覚えがある。いまだからこそ落ち着いて振り返れるが、その渦中にあったときには全身が痺れたようになってわれを見失い、ほんの一歩間違えたらストーカーまがいの行為を仕出かしていた可能性だってある。

 
それだけに、このオペラを冷静に味わうことはできない。とりわけ第3幕以降、オテロがハンカチ一枚を使ったイアーゴの子どもだましのトリックにあっけなく騙され、また、デズデモーナのほうは夫の惑乱に少しも気づかず、無邪気にカッシオとの疑惑を助長させて憚らないありさまを眺めていると、わたしは息苦しくなってしまう。ついにはオテロが馬乗りになってデズデモーナの細首を絞めると、あたかも自分の手が行ったような感覚に襲われて過呼吸となり、顔を背けないではいられない。とうてい舞台を見通すことができないのだ。

 
ところが、である。こうした嫉妬の主題に対してまったく別のアプローチがありうることを最近知った。実は、先に引用したラヴシーンでのオテロの言葉は、ジラルディの小説はむろん、シェイクスピアの戯曲にも存在しないものだ。これを文字どおりに受け止めるなら、イアーゴが策謀をめぐらす前から、オテロはすでにデズデモーナとの愛のかなたに死を望んでいたことになる。愛の死――。それは、ヴェルディが必ずしも高く評価しなかったといわれるリヒャルト・ワーグナーの、まさしく楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1865年初演)に描かれた甘美で危険な誘惑と通底するものだろう。

 
それを教えてくれたのは、このオペラの舞台となっているヴェネツィアの地元、フェニーチェ歌劇場のプロダクションにより、フランチェスコ・ミケーリ演出、チョン・ミュンフン指揮、オテロにグレゴリー・クンデ、デズデモーナにカルメラ・レミージョらの歌手のもとで行われた公演(2013年)のライヴ映像だ。第4幕のラストシーンではなんと、デズデモーナの遺体が立ち上がって、自分の首を扼したオテロの手にナイフを渡し、夫がそれで自害すると、手に手を取ってふたりで世界の外へと去っていく。歓喜の笑みを浮かべながら……。

 
この演出についてはむろん賛否が分かれようが、わたしは溢れだした涙が止まらなかった。そう、嫉妬とは愛の別名でもあるのだ。


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