アナログ派の愉しみ/本◎山本周五郎 著『虚空遍歴』

天邪鬼の作家の
真骨頂と言うべきだろう


山本周五郎は天邪鬼(あまのじゃく)である、とわたしは思う。どのみち、作家という仕事が実直な態度だけで済むはずはないにせよ、たとえば、伊達騒動の極悪人たる原田甲斐を忠義のヒーローとして生まれ変わらせて、世間をあっと言わせた手並みを見ても、ひときわ筋金入りの天邪鬼ぶりは明らかだろう。その『樅ノ木は残った』(1958年)以上に、わたしが舌を巻かずにいられないのは『虚空遍歴』(1963年)である。

 
この作品についてはしばしば、山本が座右の銘とした、19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決るのではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたか――である」という言葉に、江戸時代の芸能を借りて血肉を通わせようとしたものとされている。そうした滋味のある理解にケチをつけるつもりは毛頭ないけれど、文庫で上・下900ページ近い長篇からわたしはもっと強烈なエネルギーが立ち昇ってくるのを感じる。そう、天邪鬼の作家が読者に突きつけた果たし状といったような……。

 
旗本の次男坊に生まれた中藤冲也は、武士の身分を捨て、歌舞音曲の世界へ飛び込んで常磐津小松太夫として生きはじめる。天与の才に恵まれて、これまで手慰みに拵えた端唄は江戸市中ばかりか遠国でももてはやされていたが、そんな小技では満足できず、もっと心底から人々を揺り動かす本格的な浄瑠璃の創作をめざす。

 
こうした主人公の芸術に託す純粋な思いはいい。おのれの資質を自覚して、それを最大限に花開かせようと突き進む求道的な姿は、確かにブラウニングが言うとおり、結果はどうあれ、一個の芸術家のあり方として尊いかもしれない。だが、それはあくまで自己責任においてのことだろう。もしそこから逸脱して、まわりの人々に犠牲を強いて憚らないといったふうの態度に出たらいっぺんに評価は覆るはずだ。

 
果たして、冲也は自分を自分で取り仕切れなくなっていく。さんざん苦労して仕上げた作がようやく舞台にかかったものの、望んだほどの反響を得られないうえ、妻の実家の芝居茶屋がひそかに資金を援助していたことを知ると激昂して、妊娠中の妻や上演に労を尽くしてくれた仲間たちを放りだし、自分の実力だけで一本立ちしようと単身大阪へ向かう。しかし、新たな天地でも倨傲な振る舞いは改まらず、せっかく理解を示してくれた相手と悶着を起こし、さらに京都へ、金沢へと流れていく先々でもいたずらにやけ酒を煽っては不遇をかこつばかり。この間、冲也の才能を慕ってあとを追ってきた娘の献身的な世話により、かろうじて露命をつなぎながらも、ついにはにっちもさっちもいかないどんづまりの境遇で吐血して死んでしまう。こんなセリフを残して。

 
「まっ暗だ、どっちを向いてもまっ暗だ、なに一つ見えない、どこかで道に迷ったんだな」

 
この生きざまを一体、どう受け止めたらいいのだろう? わたしの目には、いかにも天邪鬼の作家からの果たし状のように映る。冲也の姿を前に、「人間の真価は、なにを為したかで決るのではなく、なにを為そうとしたか――である」と迫られても、力弱く首を横に振るしかない。求道的な芸術家というより、たんなるジコチュー男の悪あがきとしか見えないのはわたしが俗物だからか。

 
実は、そこにはさらにもうひとつ、天邪鬼な仕掛けが施されている。作者が残したメモによると、この作品はもともと『私のフォスター伝』として構想されたという。まだ駆け出しの文学青年だったころ、あの『おお、スザンナ!』や『草競馬』などで日本人にも親しい19世紀アメリカの作曲家スティーヴン・フォスターの伝記を読んで、ひどく感動したあまり、かれをモデルに小説を書いてみたいとざっと40年も胸に温めて、ついに60歳になって完成したのが『虚空遍歴』というのだ。南北戦争前夜の荒涼たる大陸に生きたフォスターと、頽廃的な雰囲気の遊里をさまよった冲也とのあいだに、どのくらい相似があるのかは問うまい。むしろ、読者に有無を言わせず迫ってくるのは、みずからの信念をひたすら貫く求道的な芸術家のありようだ。そう、真の主人公は山本周五郎そのひとだったのだ! まさに天邪鬼の真骨頂と言うべきだろう。

 
それにしても、とわたしは思う。こうした先達に較べたら、当節の作家には天邪鬼の手合いが見当たらないのが少々もの足りない気もするのである。
 

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