アナログ派の愉しみ/音楽◎リゲティ作曲『アトモスフェール』

「宇宙の音楽」が
現実に奏でられるなら


クラシック音楽を聴きはじめたころ、音楽評論家・吉田秀和の著作『LP300選』(1961年)が刊行後20年を経て新潮文庫に収録されて、わがバイブルとなり、巻末にまとめられた「レコード表」にしたがって一枚一枚を買い集めたことが懐かしい(現在は『名曲三〇〇選』と改題してちくま文庫で出ているが、推薦レコードのリストはない)。そのクラシック音楽の悠久の歴史からベスト300の作品を選び出すという趣旨のもとで、第一曲に挙げられたのは「宇宙の音楽」だった。曰く――。

 
「諸君は、宇宙の音楽を否定されるのだろうか?(中略)それは、ひょっとしたら、原子核をめぐる運動のたてる響きかもしれない。そういいなおせば、この不信の時代の神話として、よりうけとりやすいかもしれない。形をなさない混沌か、泡のようなもののたてる音かもしれない。おのぞみなら、宇宙旅行のロケットのたてる音とかんがえていただいてもよい。あるいは、まったく調和などでなくて、すさまじい天地未分の混沌の響きであったかもしれない」

 
こうした音楽を、著者は「いや、まったくの話、私も、きいたことはない」と断っているのだが、どうだろう? もしいま「宇宙の音楽」について心当たりを問われたときに、脳裏にひらめくものがあるのはわたしだけではないのではないか? リゲティ・ジェルジュ作曲の『アトモスフェール』(1961年)のことだ。ハンガリー系オーストリア人の前衛作曲家がこの約9分間の管弦楽曲を発表したのは、たまたま吉田の著作と同じ年だが、世界に広く知られるようになったのはスタンリー・キューブリック監督のSF映画『2001年宇宙の旅』(1968年)に採用されたのがきっかけだった。

 
リゲティが切り開いた「トーン・クラスター」という手法により、オーケストラの楽器が作用しあいながら大小の音のかたまりを集散させていくこの神秘的な音楽は、まず映画がはじまる前に流れてわれわれを包み込み、暗黒のスクリーンに無数の星がばらまかれた宇宙空間を幻視させずにはおかなかった。また本編中では、宇宙船ディスカバリー号が木星をめざして航行中に頭脳であるコンピュータHAL9000が反乱を起こしたのを、ボーマン船長が制圧したのちに、まばゆい光の洪水のなかに呑み込まれていくクライマックスの場面で響きわたってわれわれをおののかせた。

 
映画のBGMに使用されたのは、エルネスト・ブール指揮により南西ドイツ放送交響楽団が演奏した1966年の録音で、この前衛音楽が世に現われたばかりの時期だったからだろう、指揮者とオーケストラの双方に力瘤の入っているのがありありわかり、それだけに予測不能の音響の効果がめざましく、たとえサウンドトラックのCDで音楽だけに接してもゾクゾクと震えが這い上がってくる。この感覚は確かに、NASA(アメリカ航空宇宙局)のジェミニ計画からアポロ計画にかけての、宇宙がまだ遠いフロンティアだった当時に人類を締めつけていた恐怖と重なるものだったろう。

 
その後、わたしが出会った『アトモスフェール』のレコードは、クラウディオ・アバド指揮のウィーン・フィルが1988年にコンサートのプログラムにのせたときのものだ。実況録音とは思えないゆとりのある自家薬籠中の演奏ぶりは、この作品の出現から四半世紀が経過してすでに前衛から古典(クラシック)になりおおせたことを示すとともに、もはや宇宙が人類の生活圏に取り込まれつつあったスペース・シャトルの時代にふさわしい表現でもあったろう。さらには、奇しくも2001年(!)にジョナサン・ノット指揮のベルリン・フィルによるレコードが登場する。その完璧に計算され尽くした「トーン・クラスター」の音響世界は精緻をきわめ、生身の人間業というより、あたかもHAL9000が演奏しているかのような錯覚に襲われて開いた口がふさがらなかった。

 
吉田秀和の『LP300選』は、第二次世界大戦後のブーレーズ『主なき槌』(1955年)やヘンツェ『五つのナポリの歌』(1956年)、ベリオ『セレナータ第一番』(1957年)……までを視野に収めていたから、もう少しあとに成立していたら『アトモスフェール』もベスト300に含まれていたかもしれない(実際、著者は新潮文庫版の追記で、いまこの本を書くとすれば取り上げるべき作曲家のひとりにリゲティの名を挙げている)。それが実現した暁には「宇宙の音楽」にはじまって「宇宙の音楽」へと至る壮大な音楽史の円環が屹立したろう、と想像してはひとり悦に入っているのである。

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