アナログ派の愉しみ/映画◎三野龍一 監督『老人ファーム』

そこにあるのは
日本社会の未来図だ


新聞の投書欄でこんな文章を目にした。介護職の女性が寄せたもので、この仕事が好きだ、毎日入所者の排便を見れば体調が判断できる、そんな自分に誇りを持っている、という内容だった。今日の「人生100年時代」はこうした方によって成り立っているのを思い知らされて、わたしはいたく感動した。排便の状態で体調チェックをするなど、実の親に対してもそうそうできることじゃないだろう。こうした頼もしいプロフェッショナリズムからしたら、三野龍一監督の『老人ファーム』(2019年)が描く高齢者施設のあり方はお粗末と言わざるをえない。

 
明示されてはいないものの、四国地方の山間部の小さな町らしい。都会の喧騒を離れた緑豊かな自然のもとで、瀟洒なペンション風のホームに暮らす男女3人ずつの高齢者は、いずれも心身が不自由とはいえ意思疎通の可能な「要介護3」のレベルで、それなりの経済力もあるようだから、ケアをする側にとってはある程度恵まれた環境と見なせるのではないか。

 
そこに新入りの青年、和彦(半田周平)がやってくる。かれはもともと地元出身で都会へ出ていたところ、母ひとり子ひとりのその母親が病気になったため戻ってきてこの施設に就職したのだ。高齢者の介護についてはまったくの初心者で、はじめは汚れた便器の掃除にもたじろぐ始末だったのが、少しずつ慣れていくにつれて気配りの立ち居振る舞いを身につけ、他の若い同僚ふたりとともに懸命に取り組んでいった。しかし、そんなかれに向かって管理責任者の後藤(村上隆文)はこんなふうに告げる。

 
「言っちゃえば、動物みたいなもんだから。ヘンな情、入れないほうがいいよ。つけ込むスキを与えたらさ、あとで困るのはボクたちなんだから」

 
その言葉を聞きとがめてせせら笑ったのが、和彦の担当するアイコ(麻生瑛子)だった。いやに気が強くて自立心旺盛な彼女はだれに対しても心を許さず、ふいに施設を脱走して手を焼かせたりするうち両者の関係は急転直下で歪んでいく。ついにはアイコが和彦の顔さえ認めなくなったある日、ふたりは深夜のドライブに繰りだして、いったんは彼女の息子の住む家に向かったものの面会を拒まれると、ふたたび車を走らせて、森林のかなたにダム湖を見下ろす断崖のうえに降り立ち、つぎの瞬間にはアイコの姿が消えていた。みずから飛び降りたのか、それとも突き落とされたのか……。いずれとも知れないまま、翌朝、施設に戻ってきた和彦はアイコの遺品の杖を振りまわして意味不明の言葉を怒号しながら暴れまわるのだった。

 
このあまりにもお粗末な成り行きはなんだろう? ことの善し悪しにかかわりなく、介護する側もされる側もなし崩し的に正気を失っていく。冒頭に紹介したプロフェッショナルな介護職の現場はもとより、ときに職員の暴力が表沙汰になる現場であってさえも、これほど凡庸な構図が支配しているわけではないと容易に想像がつく。そう、この映画が描いてみせたドラマは介護施設の現実などではなく、さらなる高齢化に突き進む日本社会そのものの未来図なのだ。

 
そこでは、ある程度恵まれたぬるま湯のような環境にあって、凡庸な高齢者たちと凡庸な現役世代とが不毛な葛藤を繰り広げる。だから、われわれが社会から逃げられないのと同じく、この映画の登場人物たちにはどこにも逃げ場がない。管理責任者の後藤は、入居者にひたすら愛想を振り撒き罵倒を浴びせるという逆説に自己を閉じ込めて一歩も抜けだせず、和彦はと言えば、施設の内側ばかりでなく、外側においてもガールフレンドとの結婚を母親が断固受け入れないうえ、そのガールフレンドも他の男と関係していたことが判明するというニッチもサッチも行かない状況にあった。そんな和彦に、アイコはこんな言葉を投げつける。

 
「あなた、何を考えてんのかわからないのよ!」

 
何を考えているのかわからない。結局、それは日本社会の人口10人に1人が80歳以上となった現在、高齢者と現役世代の双方にわだかまる思いであり、また、こうした葛藤にさらされて、同じ世代同士のあいだでもますます増幅していく思いであろう。では、そんな袋小路に風穴を開ける方法はあるのか? ない。和彦とアイコが行き着いた奇怪な結末はそう主張しているのだ。どこまでも相互理解は成り立たず、おたがい身勝手な言葉と行動をぶつけあいながら終えるしかない、と――。

 
恐ろしい映画である。
 

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