アナログ派の愉しみ/本◎孟 郊 著『登科後』

一日で長安じゅうの
花々を見尽くした気が


尾籠な話で恐縮ながら、わたしにとって朝の出勤前のトイレ・タイムは貴重な読書の機会だ。余計な雑音に気を取られずに集中することができる。ただし、もちろん特殊な条件下につき、そこで読むのにふさわしい本はおのずから制約がある。まず、どうしたって時間がかぎられるので、長ったらしい文章のものは対象外、せいぜい10分程度でひとまず読み切れる必要がある。また、あまりアタマを使うような内容のものも適していない、そちらに神経を向けすぎると肝心の排出作業のほうが疎かになってしまうからだ。

 
というわけで、このところトイレの友としているのは岩波文庫の『新編 中国名詩選』(川合康三編訳 2015年)なのだが、まことに相性がいい。約3000年の歴史が生んだ漢詩およそ500首を時代順に全3巻に配列し、作者の紹介から原文と訓読・語釈・訳までを辿っていくことで、そこに込められた喜怒哀楽を味わえる仕組みになっている。毎朝さまざまな感興と巡り会うなかで、李白や杜甫といった巨大な存在を仰ぎみるのもけっこうなのだが、これまでまったく知らなかった詩人の作品にふと心惹かれたりするのも楽しい。

 
先日、そんなふうにして出会ったのが、中唐の時代を生きた孟郊(751~814年)。若い時分から立身出世の登竜門、科挙にチャレンジしたものの落第を繰り返し、ようやく齢46歳にして進士に合格したという。そのときにつくった七言絶句がこれだ。

 
  登科後
 昔日齷齪不足誇
 今朝放蕩思無涯
 春風得意馬蹄疾
 一日看盡長安花
 
  登科(とうか)の後
 昔日 齷齪(あくさく) 誇るに足らず
 今朝 放蕩(ほうとう) 思い涯(はて)無し
 春風 意を得て 馬蹄(ばてい)疾(はや)し
 一日 看(み)尽くす 長安の花

 
本書の解説を手引きに、わたしなりに汲み取ったところを記してみよう。題は、合格ののち。過去にあくせくと勉強に励んだのは誇りにならない。今朝こそ晴れやかに胸の思いがどこまでも広がっていく。春の風に心は満ち足りて、わが馬の足取りも速い。ほんの一日で長安じゅうの花々を見尽くした気がする……。

 
ついに宿願を遂げた得意満面の喜びがストレートに伝わってきて、こちらも孟郊の両肩を思いきり叩いてやりたくなってしまう。そりゃそうだろう、生を享けた時代や社会は異なるにせよ、わたしだってこれまで学業や仕事の試験のたぐいにあれこれと立ち向かっては、しばしば苦杯を舐め、そのあげくに合格ひとつを手にしたときの感慨はよく知っているからだ。

 
それにしても、とふと思う。いささか感情の度合いが過ぎるのではないだろうか? 自己の内面だけならいかようにも喜びを嚙みしめればいいが、そこにとどまらず、わざわざ馬を繰りだして、日本の平安京の4倍の広さがあったという長安じゅうの花々を眺めてまわるなど、およそ地に足のつかないらしい昂ぶりには危うさを感じざるをえない。果たして解説によれば、その後、孟郊は50歳に至ってやっと溧陽(りつよう)県尉のポストを得たものの、狷介な性格が災いして職務と折りあわずにやめてしまい、世間を呪詛しながら不遇と貧窮のうちに一生を終えたそうだ。しかし、とわたしは考える。この詩が孕む不穏な兆しまでが琴線に触れてくるのは、自分のなかにもともすると世を拗ねたくなる資質があるゆえではないだろうか、と――。

 
その朝、わたしはトイレのなかでそんな思いに耽ったあとに出勤したのだった。
 


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