アナログ派の愉しみ/音楽◎朝比奈隆 指揮:ブラームス作曲『交響曲第2番』

「愚直一筋」の
作曲家と指揮者が交錯して


オーケストラの指揮者と野球チームの監督が男の憧れの的とはよく言われるところだが、わたしだってもしそうした機会に恵まれたらきっと有頂天になるに違いない。もちろん、それらの仕事の実情をわきまえぬ、ただ遠くから眺めているだけの夢想ではあるのだけれど、そんな無責任な立場だとしても、仮にも自分がオーケストラのメンバーや野球の選手をリードするときに「愚直一筋」を方針にするとは考えにくい。むしろ、指揮者や監督はあらんかぎりの手練手管を用いて観客を納得させるのが使命なのだから、その意味では真逆の心がけこそ求められるはずだ。ところが、ここに「愚直一筋」をモットーにしていた指揮者が存在する。大阪フィルハーモニー交響楽団を半世紀あまりにわたって率いた朝比奈隆だ。

 
一方で、ヨーロッパの近代音楽史のなかで「愚直一筋」と言ったら、真っ先に指を折るべきはヨハネス・ブラームスだろう。ベートーヴェンが世を去ってから6年後の1833年にハンブルクで生まれたかれは、若くして楽才を認められ、ウィーンを本拠として作曲活動に取り組みなながら、崇拝するベートーヴェンの後塵を拝して最初の交響曲をつくるのに21年の歳月をかけ、ようやく完成を見たのは1876年、43歳のときだった。まさに「愚直一筋」が手足を生やしたような作曲家と言えるだろう。そして、半生を賭した宿願を成就してよほど気が楽になったらしく、その翌年にはなんと、夏の避暑地で手がけたふたつめの交響曲をわずか4カ月で仕上げてしまうのだ。

 
冒頭の導入部からがちんがちんに力瘤が入って「ベートーヴェンの10番目の交響曲」と評された第1番よりも、いつの間にかわたしは、すっかり肩の力が抜けた自然な息遣いで「ブラームスの『田園』交響曲」と呼ばれる第2番のほうに心惹かれるようになった。これまでさまざまな指揮者の録音を聴いたり、いくつかの実演に立ち会ったりしてきたけれど、なかでも忘れられない思い出が、2000年10月に東京・赤坂のサントリーホールで92歳の朝比奈隆が新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したコンサートだ。

 
いま、忘れられない思い出と書いたが、正直に告白すると少々事情が異なる。朝比奈のタクトが振り下ろされ、低弦の序奏に続いてホルンが第一主題を吹きはじめてすぐにもう、タガの緩みっぷりに呆れてしまったのだ。さすがに朝比奈も老いたり、と――。その思いは楽章が進んでいっても変わることなく、まるでポンコツ車のようにひっきりなしにあちらこちらでガタつきながら終楽章のコーダに突入した。すると、解体寸前のオーケストラに向かって朝比奈はいきなり全身を反らせて大見得を切り、音楽の瀑布のただなかに巨大な全休止を出現させてホール全体の息を呑ませたのだ……。

 
そんなわけで、あの夜の演奏はわたしにとって世紀の名演などとはほど遠く、やがて忘却の彼方に去ってしまうだろうと思っていた。ところが、である。いつまでたってもあのときの大見えのコーダの記憶が薄れないばかりか、月日が過ぎるにつれていっそう鮮やかな印象をまとって脳裏にどっかと居据わり、以来、この曲を聴くたびにクライマックスに達すると目下の演奏を圧するほどの勢いで猛然とよみがえってくるのである。閉口するほどに。これが「愚直一筋」の作曲家の交響曲に、「愚直一筋」の指揮者がタクトをふるった真価というものだろうか。最近このときの演奏記録がCD化されていたことを知り、手に入れて聴いてみたところが、まったく記憶どおりだったので大笑いしてしまった。

 
朝比奈は『楽は堂に満ちて』(1978年)というエッセイ集で、ブカレストに客演したときのエピソードを綴っている。同地の音楽家で日本でも教鞭を執ったという人物が、日本人は西洋音楽をよく理解して演奏技術も優れているが、ただし、それはクラシックについてで、ロマンティックには向いていないと持論を述べたのに、朝比奈も日本人には「ロマンティックになじまない」傾向があると賛同している。なるほど、島国ならではの小心翼々とした心情を有する国民性は、大陸の大らかな人間性が花を開かせたロマン派の音楽とは肌の合わないところがあるのかもしれない。ところが、そのルーマニア人の音楽家は朝比奈に向かって、「今宵あなたがブラームスの第二交響曲を指揮したのを聴いて驚きました。日本人は変わったのでしょうか」と問いかけてきたというのだ。

 
朝比奈の「愚直一筋」とは、たとえばロマンティックへの孤独な道のりを指すものであったらしい。
 

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