アナログ派の愉しみ/映画◎植木 等 主演『ニッポン無責任時代』

サラリーマン喜劇が
笑ってだけいられない理由


サラリーマンという和製英語が初めてお目見えしたのは大正年間らしいが、社会のなかで盛大に脚光を浴びるようになったのは昭和30年代のことだろう。毎朝満員列車で会社へ送り込まれる無数のヒーローたちが身を粉にして、世界に例を見ない高度経済成長を成し遂げた時代は、新しい世相や文化のうねりも生みだしていった。そのひとつにサラリーマン喜劇のジャンルがあり、1962年(昭和37年)に制作された古沢憲吾監督の『ニッポン無責任時代』はブームの火つけ役になった作品だ。

 
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」

 
『ドント節』のフレーズで幕を開けるこの映画は、当時人気絶頂のコミックバンド「クレージーキャッツ」のメンバー、植木等がスーパーサラリーマン・平均(たいらひとし)に扮して大活躍を繰り広げるというもの。たまたま銀座のバーで企業買収の密談を小耳にはさんだかれは、その情報を懐にさっそく標的とされている太平洋酒の社長(ハナ肇)のもとへ赴き、口八丁手八丁で自分を売り込んで総務部社員に収まると、鼻白む同僚連中を手玉に取り、ライヴァルの乗っ取り屋を誑かし、夜のネオン街では水商売の女たちの欲望を誘いながら、またたく間に出世の階段を駆け上がっていく……。

 
アメリカン・ドリームの向こうを張る、ジャパニーズ・ドリームといった成り行きなのだが、とくにわたしが注目したいのは、この平均なる正体不明の人物が突如現れて、下宿先の主人からドブネズミ色の背広を借りて着込み、太平洋酒総務部の名刺を手にしたとたん、たちまち縦横無尽に企業社会を闊歩しはじめることだ。すなわち、サラリーマンの価値はしょせん外見と肩書きでしかないことを示しているわけだが、果たしてこれは半世紀前の笑い話に過ぎないのか、それとも21世紀の日本にも通じる事情なのか。

 
ふだん一から九まで出まかせを撒き散らす平均も、そんなサラリーマンの虚構を知り抜いているだけに、つい本音を吐いてしまう場面もある。上司だった総務部長(谷啓)がこともあろうに、平均が昇進したせいで立場が逆転する羽目となって、腹立ちまぎれに会社をやめようとしたときに、かれがすかさず告げるセリフだ。

 
「サラリーマンは辞表を出しちゃおしまいですよ」

 
まわりの社員たちを同じ「クレージーキャッツ」の面々が演じていることだけが、いずれも似たり寄ったりの連中に見えるゆえんではない。高度経済成長のこの時期、現在とは真逆に人口のカーブが急上昇する一方で、背格好や目鼻立ちも、学歴・特技のたぐいも、ものごとに対する価値観も、いまより均質などんぐりの背比べ状態で、いったんそこから脱け出したら再起するのはずっと難しかった。つまり、映画に描かれる太平洋酒なる会社は日本の企業社会の縮図に他ならず、こうした現実がジャパニーズ・ドリームを成り立たせていたのだろう。

 
それだけではない。平均はしょっちゅう馬鹿笑いしながらも、ときにその目に悲しみが宿っているように見えるのはどうしたわけだろう? 植木等は1926年(昭和元年)生まれの、いわゆる戦中派だ。浄土真宗の僧侶だった父親は、戦争反対を唱えて治安維持法により逮捕された経歴もあるという。太平洋戦争の終わりを迎えたのは20歳のときで、僧侶になる勉強のかたわら、アメリカ進駐軍が持ち込んだジャズに惹かれて芸能活動をはじめ、十数年を経て『ニッポン無責任時代』で映画初主演を飾る。そんなかれにとって、ひとりの男が裸のうえにカーキ色の軍服をまとえば軍人となり、ドブネズミ色の背広をまとえば企業戦士となるアイロニーは自明だったろうし、いまだ敗戦の記憶も生々しいなか、この現実の愚かさと悲しさへの思いは、映画館に駆けつけた観客たちにも共通するものだったはずだ。

 
やがて、世のサラリーマンがこうした時代の陰影から解き放たれ、文字どおりただの給与所得者となりおおせたときに、サラリーマン喜劇も歴史的使命を終えたのだろう。今日、サラリーマンという存在が発信する文化と言ったら、せいぜい「サラリーマン川柳」ぐらいのものではないか。
 

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