アナログ派の愉しみ/本◎永井荷風 著『濹東綺譚』

「優越を感じたい」
その慾望の虜となった現代人は


このところあまり見かけないが、かつては「現代の古典」といったキャッチフレーズが幅を利かせて、さしずめ永井荷風の『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』などは代表格だった。かくて学生時分になかば義務感から手に取ったものの、あまりのつまらなさに辟易して、以来、荷風を敬して遠ざけてきたという経験はわたしだけのものだろうか。その突拍子もない面白さに気づいたのは最近のことだ。おそらく、荷風の妙味を味わうためにはある程度の年齢が必要なのだと思う。

 
私見では、荷風の面白さは「計略」にあると理解している。一見創作とも随筆とも日記ともつかない、肩から力の抜けた自然体の文章ながら、その根底には長年培ってきた江戸の戯作やフランス近代文学の素養にもとづく巧緻な作為が見て取れるのだ。57歳にして発表したこの『濹東綺譚』にしても、荷風本人を思わせる主人公の小説家が向島・玉の井で出会った場末の娼妓との交流と、かれが執筆中の小説「失踪」に描かれる退職教員とカフェーの女給との道行きが二重写しとなり、双方の男女関係が輪郭を融け合わせるように進行していくという、はなはだ手の込んだ構成が取られている。

 
そればかりではない。ひととおり本編が完結したあとに「作後贅言」と題した長文のエピローグを添え、どうやらそこに荷風の本音が開陳されているらしいというアクロバティックな組み立ても、わたしの知るかぎり未曾有の計略に違いない。

 
エピローグでは、荷風が銀座界隈で夜の遊びをともにし、忌憚ない文学談義を交わす仲でもあった神代帚葉(こうじろそうよう)翁なる老人の思い出が綴られる。翁は、当今の東京音頭の喧騒ぶりから、言文一致の文学の流行へと話柄を転じて、森鴎外の作だけが朗吟に堪えるとし、「わたくしは学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない」と述懐したりする御仁なのだ。また、あるときは震災後の東京で人々が夜半すぎまで飲み歩くようになった事情をめぐり、省線電車や円タクの深夜営業を槍玉にあげてから、荷風は新たな人種の心性をこんなふうに翁に語らせている。

 
「しかし今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけに行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう。精力の発展といったのは慾望を追求する熱情という意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅行登山の流行、競馬その他博奕の流行、みんな慾望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている――その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」

 
わたしは一読、天を仰いでしまった。このときは大正の世代が現代人とされているけれど、さらに昭和、平成と世代を重ねて、令和の時代を迎えたいま、スポーツやら、ダンスやら、旅行登山やら、競馬その他博奕(当然マネーゲームも含まれよう)やらの流行は留まるところを知らず、現代人はいっそうこの「優越を感じたい」慾望の虜となっているではないか。荷風の眼には、われわれの姿がきっと化け物のごとく映るだろう。

 
荷風の日記『断腸亭日乗』によれば、『濹東綺譚』は1936年(昭和11年)9月21日に書きはじめ、10月25日に終えている。そして朝日新聞夕刊での連載が決まったのち、11月2日から6日にかけて「濹東余譚」が執筆され、これが「作後贅言」となった。この年の2月には国家改造をめざして陸軍青年将校らが二・二六事件を起こし、大日本帝国はいよいよ戦時体制への傾斜を強めていくが、荷風の関心はもっぱらおのれの目に映り、おのれの手が届く対象にかぎられたようだ。3月末から足繁く玉の井の私娼窟へ通い出し、この経緯をもとに「現代の古典」を誕生させたのである。それもまた、とうてい余人には真似のできない計略といえるのではないか。


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