アナログ派の愉しみ/映画◎溝口健二 監督『西鶴一代女』

ユーモアを身につけるべし!
大女優が明かす「結婚相手の条件」


ときは元禄のころ、御所に仕えるお春(田中絹代)は、若党の勝之介(三船敏郎)から「どうぞこの恋、叶えてくださいませ」と強引に迫られて拒みきれず、とうとう身を委ねてしまう。ふたりは不義密通のかどで捕らえられ、勝之介は斬首、お春は洛外追放となって人生の急坂を転げ落ちていく……。

 
『西鶴一代女』(1952年)は、監督・溝口健二と田中絹代の執念が結晶した映画といえるだろう。戦前に頭角を現した溝口は、戦中・戦後の価値観の激動のなかでスランプに陥り、GHQの検閲のもとで制作した作品はことごとく失敗作と見なされ、背水の陣の覚悟で取り上げた素材が井原西鶴の『好色一代女』だった。一方の田中も先年、日米親善使節としてアメリカを訪れ(クライテリオン版の『OHARU』には、このときの映像が収められていて貴重)、凱旋帰国にあたって派手なドレスで投げキッスを撒き散らし、いまだ戦火の生々しい記憶をもつ世論の猛烈なバッシングを浴びて、この難役へのチャレンジに再起を賭けたのだった。

 
男たちに翻弄されながら転落していき、最底辺の街娼にまで堕ちたお春――。「女の一生」の果ての老醜を、溝口の演出と田中の演技は容赦なく暴き、お春がふと足を踏み入れた羅漢堂の仏像に勝之介の面影を見出して涙するところでは、その老醜がついに神々しい光背を帯びたかのような圧巻のシーンを創造したのである。かくして、この作品はヴェネチア映画祭で国際賞受賞の栄誉に輝き、両者の名は世界に轟くことになった。

 
溝口が『浪花女』(1940年)で初めて田中を起用して以来、両者は10年あまりにわたって協同作業を重ねてきた。この間に夫人が精神病院に収容された事情もあり、溝口はかねて思いを寄せていた田中への求婚をこのころ本気で考えたらしい。54歳の監督と43歳の女優の結婚にさほど不自然さはなかったろう。しかも、そこにはギリギリまで追い込まれた窮鼠同士が手を取り合い、みずからの存在を賭して傑作を作りあげた強固な結びつきがあったのだから。

 
しかし、田中の受け止め方はかなり異なり、あの勝之介が一途な熱情をもってお春の心を射止めたようには運ばなかったようだ。溝口没後に弟子の新藤兼人監督が制作したドキュメンタリー映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年)のなかで、彼女はインタヴューにこう答えている。

 
「わたしは第一、あんなおっかない先生の、妻としてね、つとめができる自信はもちろんございません。正直いってね、おもしろくもなければなんにもね。たえず仕事、芸術、そりゃ結構ですよ。でも、ユーモアというものがございませんでしょう。先生はね、正直いって、日常生活の面白みはないです。なにもかも、仕事、仕事、仕事……」

 
まことに貴重な証言というべきだろう。男性諸氏、これが女性の本音なのだ、そこに大女優とふつうのオバサンの区別はない。もしもおのれの仕事上の成果やら社会的な名誉やらにうぬぼれ、その威光によって人生の同伴を相手に納得させられるなどと考えたなら大間抜け。まずはユーモアを身につけるべし!
 

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