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Run away

僕の嫌いな言葉の1つが、「逃げるな」


なんの文化なんだか、逃げたいって思った時に、頑張れとか、逃げるな、我慢しろ、甘えるな
みんなが口を揃えて同じようなことを言う。

世の中には逃げちゃいけない時、我慢すべき時もあるとは思う。
それは、自分の目的や夢や望みに向かうためにどうしても通らなければいけない過程としての我慢だ。

でも、理解できないのは、目的を無視した文脈で我慢を強いる場面が少なからず存在すること。


「学校には行きなさい。」「将来のために勉強しなさい。」「仕事は3年は続けなさい。」よく耳にする言葉だ。
これを周りに言われてる時点で本人が望んでないことは明らかだが、これらの言葉にはその望んでないことをあえてやらなければいけない理由が抜け落ちている。

なぜ抜けて落ちるか。それは我慢を強いる側の人たちがなぜそうするべきなのかに対する明確な答えを持っていないからだと思う。


今回の文書はすごく長いけど、一言でいえば「逃げたいときは逃げても問題ない」ということ。

僕自身、これまでの人生で3回はきつくなった時に逃げてきた。その経験を書くことで、逃げたいけど逃げられない状況にある人が少しでも逃げるという選択肢を前向きに捉えるきっかけになればと思う。



僕は中学生の時学校が嫌で不登校になり、高校入学後すぐ部活が嫌になり、高1の冬に地元の人間関係が嫌になった。その度に逃げるという選択をしてきた。
これだけ見ると、すごくやばい人生かもしれないけど、重要なのは逃げたことでどうなったかだ。

まず、中学の不登校時代。
きっかけはいじめだ。なんの正義感だか部活で行われていたいじめをやめるよう言ってみた。その頃は正しいと思ってたし、その頃の自分はこれで一件落着だと甘い考えでいた。
まあ、案の定つぎの対象は自分に移り、それから学校が嫌になって、学校に行かなくなり毎日家に引きこもっていた。
この時、逃げずに学校に行き続ければ好転したかもしれないじゃん、って思う人もいるかもしれないけど、そっちの未来を選択しなかったから今となっては分からない。でも、僕は逃げなかったら自分の心が壊れちゃうと思ってたし、今でもそう思ってる。
そうはいっても中学は義務教育だったし、当時の僕には義務教育に疑問を呈するほどの余裕も頭もなかったから、学校には行かないといけないとは思っていた。
そこでとった選択肢は、転校。これが僕にとって逃げるという選択だ。
過去を清算して、また1から始めれば学校に通えると思って親に転校を許してもらった。もう泣きながらお願いしたよね。
元々頭が良くなく、不登校で勉強しない期間も相俟って勉強は全然できなかったけど、転校を機に学校にも通うようになり、人間関係も良好だったおかげで高校は自称進学校くらいのところには入れた。
これは、たまたま転校したら勉強する環境になって結果いい高校入れましたー。って話じゃない。
「逃げる」と言う選択をあえてしたことにより、逃げなかった場合と同等もしくはそれ以上の結果になったと言う話だ。仮に結果が同じだったとしても、精神衛生的に健康な方が断然いい。

次に、高校入学後。
無事ドロップアウトしそうなところから帰っては来れたが、またつぎの逃げたくなる場面が。
部活だ。言い訳するとそれまで海外生活が長く、上下関係というものへの耐性がなかった僕にとってはめちゃめちゃ辛かった。一ヶ月で心の限界がきて、結局やめた。今回はやめるという形で逃げた。
もちろん、部活を辞めたことで失ったものはある。部活を続けてた人たちよりは間違いなくサッカーが上手くはならなかったし、今思い返す青春みたいなものがないのは残念だ。
けど、可処分精神の全てを部活に使い果たしていた1ヶ月間は勉強に立ち向かう余力が皆無で全くできなかったけど、やめた途端使える余力がたくさんできたという意味で得られたものは大きかった。それを全て勉強に注いだわけじゃなく、ほとんど遊ぶことに使う結果とはなったが、少しは勉強にも使える部分ができたので良かったと思っている。
この選択は、将来サッカー選手になりたい人にとっては論外かもしれない。けど、自分の描く将来像に照らして不可欠な手段じゃないものはやめちゃえばいい。ただそう言いたいだけ。

最後に、高1の冬。
僕の地元は比較的荒れているらしい。
帰宅部になったこともありその地元の人とつるむことが増えた。
楽しく遊んでる間は良かったが、みんな学校に行っておらず、暇な人が多かったのだろう。毎日のように電話がかかってくるわ、よく分からんチケットを売りさばかないといけなくなるわ、時々何を怒られてるかも分からずリンチされるわ。
とりあえずこの時期は本来楽しいはずの放課後が地獄だった。
ここまで2つの話をしてきたので推測はできてると思うが、ここでも僕は逃げた。今となってはもっと他に逃げ方あっただろとは思うが、引っ越しして一人暮らしを始めた。
元々実家から高校が近かったが、実家からみて高校の反対側に住むことにした。
この選択によって、とりあえず放課後は地獄ではなくなり、時間ができたので楽しい高校生活と中の上くらいの大学合格が得られた。
逃げなかったら、今頃コンビニの前でたむろってる集団の1人だったかもしれないと思うとゾッとする。


僕には逃げるという一見マイナスな選択肢をとったことが、我慢を続けて得られたであろうものに勝る結果につながったと思えてならない。

僕のメンタルが弱すぎるだけかもしれないが、精神力が嫌なことによって使い果たされていると、他のことに取り組めない。本来やるべきことややりたいことに注ぐ力を取り戻すために、逃げるという選択肢は間違ったものじゃないと思う。


目の前に大きな壁が現れた時に、無理して越えようとし、心がボロボロになっても越えなきゃいけないと思ってしまう。
これが逃げないこと、我慢することだとしたら、
逃げるってのは、回り道して他のルートでゴールを目指すことだと思う。


以前先輩が教えてくれた話で、
ストレスにはいいものと悪いものがある。そのストレスに耐え頑張ることでしか自分の望むものが得られないのであればやるしかない。
でも、自分が望むものではないもののために耐えて頑張るのは悪いストレスだ。


我慢や逃げないことを強いる人たちは、我慢すること自体を目的化して考えている。

でも、僕は、我慢すべき対象は手段でしかないと思う。そしてどんな目的にとっても手段が1つしかないってことはそんなに多くはないと思うので、自分にとってつらくない、自発的に頑張れる手段じゃないなら逃げて次を探しにいけばいいと思う。


逃げずに我慢をつづけて、そのうち限界がきて自殺、みたいな話を聞くのは1回や2回じゃないが、そのような出来事に対しての「死ぬくらいなら辞めればいいのに」って批判は正論かもしれないが現実から乖離した正論だ。

当の本人は冷静な頭で死ぬことと逃げることを天秤にかけられない状態だから、冷静に考えれば取らない行動をする。
そんな人間に対して正論しか言えないのは想像力が欠如している。

本人が冷静に決断できない以上、重要なのは周りの人間の対応だ。
"死ぬくらいなら辞めればいい"ようなことで死を選ぶ人間はその前にサインを出しているはずだ。そのサインに気づくこと、気づいたら我慢することを強いないこと。

かたやなにかから逃げると「もう少し頑張りなよ、我慢しなよ」というくせに、かたや限界がきて死を選んだ人間に「死ぬくらいなら辞めれば良かったのに」と手のひらを返したように突き放す。
じゃあその間はどこにあるの?
全部結果論じゃないか。


逃げたっていいじゃん。


学校をやめたり、会社をやめてそのあとどうするの?将来はどうするの?かけてくる言葉はそんなものばかり。

たしかに今のシステムじゃ、一度ドロップアウトしたら元の場所に戻るのは難しいかもしれない。
でもそのシステムって長い人類の歴史で考えればごく最近できたものだ。
逃げたいって感情は生物として危険を感じてるから生まれるものだと思う。
生物として感じている危険信号より文化に依拠したリスクを優先する必要がどこにある?


いろんな考え方があるから自殺する人たちにも色々な考えがあるとは思う。
けど、その内の少なくない部分はあえて自ら死を選ぶほどに逃げ場がなくなってるんじゃないか。いや、逃げ場は存在するのかもしれないけど、本人には逃げ場がないように感じられるんじゃないか。

盲目の人に場所を教える際手を引いてあげるような配慮を、精神的に逃げたくなって視野狭窄になってる人たちにもするべきだ。


誰かが手を引いてやらないといけない。
僕が今こうやって文章を書けているのも、過去に逃げたくなったときそれを否定せず手を引いてくれた友人や家族がいたからだ。


肉体的な怪我人に対してはみな優しくできるのに、精神的な怪我人には同じようにできない。その状況を想像して共感できないからだ。

でも、多くの人が自分がしたことのないような怪我をした人の気持ちを理解し、行動できるのに、精神的なものだとできないなんておかしな話だ。



追い詰められた人間が逃げる選択肢をネガティブに捉えるのは周りの反応がネガティブだからだ。

周りの人間が「逃げる」という選択肢を1つの立派な選択肢だと認めてあげることで救われる人がどれだけいるか計り知れない。


僕の力なんて微々たるものでしかないが、逃げることを肯定できる人間でいることが少しは誰かの役に立つと思って続けていくことにする。


もしこの文章を読んでくれている人の中で、追い詰められていたり、逃げたいと思っているのに周りの反応によって逃げることを選べない人がいたとしたら、

一回逃げてみよう。

僕は逃げまくった。そして今逃げて良かったと心から思っている。

逃げられないと考えて精神をすり減らすくらいなら、さっさと逃げて次の場所で頑張るために精神をすり減らそう。

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