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礼に始まり、礼に終わる

昔、習っていた空手と合気道。


「礼に始まり、礼に終わる」


そう教わり、ずっと耳に残っている言葉だ。


この「礼に始まり、礼に終わる」というのは、稽古で使わせて頂いている場所、教えてくれる先生、そしてこれからする武道に対しての敬意も含まれているのだと思う。「礼」というのはただお辞儀をすることではなく、一つ一つの物事に対してどれだけ感謝できているのかということ。


稽古が始まるとき終わるとき、どちらも掃除をすることが習慣だった。子どものときはやらされていたという感覚だったが、これは「よろしくお願いします」と「ありがとうございました」の気持ちを込めた掃除だったはずだ。


稽古前や試合前の礼。これも先生や対戦相手に対しての礼だけではなく、これからわたしは真正面から武道と向き合いますと誓う礼でもあると思う。向き合った相手に対してだけでなく、武道と真摯に向き合う姿勢を示す敬意。終わりは感謝を込めた礼。



ただお辞儀をするだけでなく、心の中で「よろしくお願いします」「ありがとうございました」をいうことで、自分の中の「礼に始まり、礼に終わる」の精神が培われていくのだと思う。相手に敬意を払うときには、必ず自分の心とも向き合うことになる。



わたしが空手をしていたのはもう15年も前のことだ。武道から離れて大人になっていくうちに、こういう気持ちが疎かになってしまっていた。


道場の中でなくても、日ごろの生活の中でも実践できるはずだ。


コンビニのレジで「ありがとうございました」とは言えている。だけど、相手の目をちゃんと見れていたか。言葉にできていても、そこに気持ちが込もっていなければ、相手にも自分の心にも響かない。


マンションの掃除をしてくれている方に言う「おはようございます」は笑顔で言えていただろうか。マスクをしていても、相手には表情が見えているはずだ。


何気ない行動の一つ一つに、‟人となり” や ‟人格” がでてくる。

相手への敬意、感謝を示すことは、自分の心のためにも必要なことだ。


知っている人に対しては簡単だろう。でも生活の中で自ずと出会う、名前も知らない人にどれだけできていたか。今思い出すことができないのは、わたしが相手と向き合えていなかったからだと思う。


人に対して、仕事に対して、今あるもの全てにどれだけ気持ちを込められるか。いろんなことが当たり前ではないということを、改めて考え直したい。

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