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死ぬことが全然怖くないかもしれない、という名の徒然雑記メモ

誤解しないでほしい
死にたいと思ったことは人生で幸せなことにこのかたない

そういう話じゃなくて、人間って生きててそーんなに意味あるわけじゃないんじゃないかなあってふと思っていて、
この度主催のイベントをしていろいろな人と関わったり
イベントの中でいろんな人と一緒に狩猟で獲ったシカをさばいてお肉にしたり

その中で人が肉を食べること
人が生きること
そんな話題が出てきて
いきる
について考えたのでまたここにまとめようと思う

本当はいろいろ調べてそのうえでエビデンス持ってきてやれよ、って感じだけど
まずは感じたことを言語化するだけで
一旦はメモで
これをもとに根拠づけて話していけるところはそうしようと思う
今は本当にただのメモ

色々環境問題とか、人間が動物を家畜化して肉として食べるためだけに飼っているのは動物に対してどうなんだとか、動物の権利とか
人間とその他の世界との関わりがいろいろといわれる昨今

だけどまずはそれの原因とか考える前に

〇そもそも人間とは何なのか
そんなことを考えてみようと思う

最近シカに関わることが多い

しばらくシカの罠猟を仕掛ける猟師のところに猟を習いに行ったり
農家に関わるときにはシカの害のことを毎回聞いたり
生態学者の人でシカを研究している人から生態的観点からシカの狩猟後に捨てられる産業廃棄物のことを考えたり
シカに衝突する交通事故による車の損傷について考えたい子と出会ったり
ジビエを広めたい人がいるかと思えば
狩猟が好きだからやっていて、獣害駆除のためにも駆除するけどジビエにはできないからそのまま穴に捨てられている現場に行ったり(あそこはえぐいぞ~と地元の人に言われながらも行った)

自分でシカを殺すこともしたし、捌くこともした
でもシカはかわいいと思うし大前提私は自然も動物も大好きだ

そんな中で関わっていて思うことは

人間は動物をコントロールしてきれいごとだけを言って生きていけるほど特別な存在じゃない

狩猟したり、そんな人たちと関わっていたりすると、思う

動物に限らない
植物も動物も人間以外のすべてのもの
そのものすべてにいいように、そのものすべてが共存する社会とか、そんなことができると思ったら大間違いである
人間が生きるというのは、他の生物にとっては競合であって食べなくちゃ生きていけないのだからマイナスにならずに生きていくことなんてできないと思っている

それゆえ、いったん私は「地球上のすべての生き物の共存、尊重、人間中心じゃない社会に、」なんていうのをやめてみた

人間はきれいなものをみたい生き物らしい
海、宝石、空、氷、そんなものが大好きだ
なんでだろう

本当にこういうものが好きな遺伝子的理由がありそう

マインド的にもきれいなものをみたいらしい
感動、努力、思いやりの気持ち

子供のころから、嫌悪の気持ちを向けられるのは苦手だったし、心なく手をあげられるような様子を見ると、それがたとえほかの人に対してだったとしても、心が苦しくなって泣いていて

私は子供のころから増えてしまった猫だの
大量のにわとりだの
犬だの
そんなものをたくさん飼っていて

病気がちの猫たちを保護していたからすぐに死んでしまうことも多々あったし
近くに通りがあってそこを走る車に撥ねられて何匹もの猫が死んでしまったし
飼っていた鶏もよく病気だの寒さだので死んでいて
たまに増えすぎた鶏をさばいて肉にすることもしていた

心地よいものではなかったけれど、というかほんとうに見たくなかったんだけど
(怖くて今でも道路で動物がはねられているかもしれないことに気づくとその時の気持ちを思い出すし、心臓がバクバクする)

こんなのが、人間は多分見たくないんだ

そして見たくない結果、見なくてもいい世の中が出来上がった
「死」というものをみなくてもいい世の中に
そう、資本主義の世の中、「こうだったらいいのに」の願望がうまくいけば形になっていくのが自然だ

でもなんだか、それによって人は結構大事なものを失った気がする

人が生きている、ということは必ず「死」があるということ
「死」の上に今の自分が生きている事象があるということ

命に感謝しましょう、ではあるのだけど

そうじゃなくとも
「死」って生きているのなら身近であるはずではないのかな

そんな特別なことではないのではないかな

そして人間も他の動物と同じように「死」の上に、「死」を前にしながら生きていて、その事実から目をそらすことはできなくて

最初に話していた
きれいなものをみたいという人間の性質からするとその裏も人間にはあるんだよってことになるんだけど
いいたいことのニュアンスはちょっと違っていて
裏じゃなくてそれってもっと人がうまれるとか、食べ物を食べる、ことと一緒に扱われてもいいんじゃないかなあって思ったりする

これが現代の考えとはかけ離れていることも知っているし
ちょっと非現実的で
人間の本能とはまたちょっと違う気もするし
論理性がないから納得してもらおうとは思わないのだけど
一旦メモに残しておく

しばらくして「何言ってるのか私」となるかもしれないし
そうでないかもしれないけれど一旦、ね

で、そうやって人間は大して他の動物とも変わらないし、そうやって死の上に生きていることとかを考えてしまうと
人間はなんのために生きているかって
やっぱり人間のために生きているんじゃないかなあって思うのです

これも超感覚なんだけど、特に自分は身近な人から、特にどんな人、っていうのはあんまりなくて
ただ近年批判されがちな人間中心主義とは時間感覚が違うだけなんじゃないかと思うんだよね
あと10年20年、人間のための社会を作るのか

あと1000年2000年の人間のための社会を作るのか
結局長期で見るなら人間は「自然」っていうものから手を離せない気がしているし、幸せの観点から見ると本当に手を離してはいけない気がしている
それには他の生物も含まれると思う

結局人間中心なんだけど、長期で見たら結局人間中心ながらどう周りと折り合いつけつつ長く両方生き残っていけるかを探らなくちゃいけないんじゃないかーいってお話でした

そして最後に言いたかったのは
こうやって長い未来を見据えて人間のために生きてる私自身にそんなに意味はないなあと思って
(人生に絶望してるわけではないですよ、人生今とっても楽しいです)
生きてる間ってより死んでも残るような本質的なものが残せたら超幸せで、そうでなくても今そういうのを目指していろいろ形にしようとか、ちっさーく形になったものにわくわくしながら人生生きてたりするわけで

って考えたら私は今たとえ心臓発作で死んじゃったとしても別につらくないなあと思いまして。
で、だから別に死ぬのそんなに怖くないなあと思いまして
そんなことを思っていたら生きるの全然しんどくなくなるんじゃないかあって(23歳のペーペーが言ってるので信用はしないでね)

21歳の時に、結構仲の良かった友人が同い年で急死して。
悔しくてなくことがおおくて、それも1人でって感じで大体人前では絶対涙を見せられない性格だし、他にもやることがあったからあんまり考えないようにしていたんだけど、ちょっとそれについて話したときに、全部溢れてしまって本当に涙が止まらなくなった。色々ようやく落ち着いてから、
人って死ぬんだなあって思ったときからいろいろ考えてここ一年くらいはこういう考えに落ち着いております。

多分こんなのはなんかの本とかには大前提で書かれているのかもしれないけれど
最近すごく環境問題に興味があるような人たちがすべては助けられないと苦しんでいる姿も見る気がするので
個人的にローカルでリアルを見たときに感じたことから書いてみました、

本とかはまた読みます
気が向いたらエビデンスや参考文献ベースでリライトしてみよう

ではでは


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