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ひと語りの夜に

シェアハウスにて、夜中の語りが始まりました。
エンタメに振り切って、自分がその時楽しいことを貫き続けるのか、
勉強とか結構頑張るところをやるのか
みたいな話をしている。

今を楽しめるところに振り切れるのって、結構難しい(人によっては)
のかもしれない。

何やりたい、って言われて出てこない人も結構いるのは、
真面目に頑張ってきたことでしか評価を得たことがなくて、それがなくなるのが失うのが怖いからなのか

小さいころに、自分に注目が集まったり、応援された成功体験を得たことがある人は、自分がこれをやりたい、これを楽しみたい、ということに突き抜けることができるのか

私に限って言うと、結構注目があつまるような経験は少しだけしていて、でもどっちかというと真面目なこと、勉強とか部活とかに全振りしてきた人生で
でもこれも全部自分が楽しかったからで
今も楽しいし、でも今が楽しいってより、難易度の高い楽しさが楽しさレベルがすごく高くて、それによって目指してる過程の楽しさ


高いもくひょうを設定して、そこまでたどり着けなくて崩れる人がいるのと、
高い目標だからこそ、その過程を楽しみ続けられる人がいるのの違いは、
何なんだろうか。

これを解決できたら苦しまなくて済む人がたくさんいるんだろう。
もしかしたらいずれ私もそんなことに悩み、目指してるものをあきらめる時が来るのか。
まあ、そんな気はしていないけれど

これを解決して今も、未来もワクワクしながら生きれる人が増えたらいい。
本来は生きるってそういうことじゃないんかな
死ぬことの恐怖があるから生きるってすごく苦しいことになる気がするけど、
生きてること自体がプラスだったら楽しく生きれる人が増えるのかな

眠いので考えがまとまりませんが
体調とか苦しい時にはこんな風に思えないと思うけど

それでも何とか、人がわくわくして、その人の最大の力を発揮しながら生きている世界が見たい。
自然を通したらもっと自然体になってそんな人増えるような気もしているし
自然関係で仕事をしたいのに、あきらめて他のことをしてつらいと言っている人にその人の力が最大に発揮される場を作れたらいいし。

この二つの方向から、末永く続くより良い世界をみたい



今日研究しながら、研究に飽きたときにボヤっと考えてたらふっと浮かんでしまった、つくりたい組織像というか実現したいもの


「Hyakusei  ひゃくせい」(百生・百世)

百の生業をつくり
百の世界をのぞき見れて
百の生きものがいきる場を実現し
百の世続く世界をつくる

世界はいろいろなものが関わってできているから、
何か一つで生きていくのも
何か今だけに集中するのも
今の世界を信じ切るのも
一つの生物の繫栄だけを望むのも

きっと難しくて

百姓のように

いろいろなものでバランスを取りながら
自分のなしたいものを実現していくのが、これからの生き方に必要なんじゃないかと思ったり

そのあたりこれからの流れなんじゃないかなんて勝手に思ったり

これからは
お金の時代が終わって

森から学ぶ時代が来るって誰かが言っていたけれど。

それくらい、森は続いているだけある納得感がある。

今後のビジョンはもっと具体的にして、
きちんと出します。


ではでは
よい夢を


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