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表現、しつづける、と心にきめた

2日ぶりです。

いつもこの時間にnoteを書くことに決めて1週間くらいが立つのですが、段々慣れてきました。
ぱっと書いて寝ています。
ちゃんとした文章になっているかは、すごく気にしてしまうタイプで投稿した後も何度も確認してしまっていたのですが、段々それも減らせてきています。

この2日は卒論の中間発表的な追い込みの期限があり、ほかのことを考えたくなくて書くのをやめていました。

今日は最近感じた、
①続けることの大切さ
②ちょっとだとしても思ってることを表現する、
をちょっとだけ触れることにしようかと

①続けること


このnoteも、ですが、
今やっている長野のプロジェクトも2か月前くらいから発信を続けていて、最近は、いったんここ見て、と言えるくらいには充実してきました。
それで、「詳しくはこのリンク見てね」
って伝えた子から、

「基盤ができてて、これをもとに進めて行けそうですね」

って言われ、

私たちとしては基盤なんてものは全くないし、毎回どうなるかわからない綱の上を渡っている感覚だし、
拠点もないし、

未来の構想として
こういう地域と、人と、自然とが、価値観を共有し、生まれ、交わり、またそれぞれの場所でそれがそれぞれなりに進化していく、そんな感じの世界を作りたい、

それがあるだけ。

それを伝えるのは言葉では難しいから、いつも言葉でその場で伝えながら、

来て体感して人としゃべって、それでその人の中に生まれたら、
何かを感じれるものだと思うから

そんな状態だけど、
発信をしていたらそんなにそれっぽく見えるんだなあと感心してしまった笑
われながら。

だからこそ、

”それっぽく見える”

ことに自分も騙されて飲まれてしまってはいけない

それは、ほかの人のそれっぽさを見破れということではなくて、
自分がそれっぽくなっていることに、
本当に本質的にそこにたどり着いたんだと思ってしまう、思い込んでしまうことに気を付けたい、ということ

だから自分的には
目指しているものにはまだまだすぎるけど、
周りから見たらそれなりの継続があることって信頼になる、話でした。

まあ、続けるほど、自分の足りなさには気づいていくよね

だからこそ、継続して実践することをやめないで
周りからうらやましがられながら、すごいねって言われながら

でも自分は目指しているものを見続ける人間になろう

それが、最高にたのしい


②ちょっとだとしても思っていることを表現することの大切さ




今日、一次産業(漁業)に関わっている人と話していた
その人は
漁業を改善したいみたいなのもあるだろうけれど

漁業をきっかけに
システム的に、アカデミック的に、科学的にわかっていることに当てはめるものではない
第六感的な
そんな感覚と

人が変わる、熱が込められる瞬間みたいなものを追求しているらしい

違ったらごめんなさい、

私も近い部分はあって、

やりたいことは
森に関わりたい人がそれをあきらめなくて済むように
とか
森に関わる人がその思いを形にできるように
とか
もっと注目浴びたら
とか
具体的に言われるとそんなことになってしまうのだけど、


でも具体的にならない部分はずっとあって

それが価値観の部分

科学でも解明されていない
ビジネスにもならない

でも、
なんとなく人間の本質なんじゃないかと思える自然の部分

そこに関わっている人ってリアリストで
なのに
リアリストとして、
人は自然と関わらないと本質的に生きていけないことを知っている、というような

まだ自分も学びながら模索中であり
だからもっと関わって知っていかないといけない部分でさらに知りたい部分なんだけど、

この部分って都会に住んでいようと、
環境問題っていう前に
まず、人とは、この地球上で自然があるから生きていけている一つの生物種に過ぎないのだということを体で感じて

人間が生きているとは何なのか

本質的に体で感じることができたのなら

もっとしあわせに生きる価値観がうまれる気がするし
都会で住むとしてもその考えって、
特にこれから環境問題に配慮することを求められる世の中だからこそ

その根本にあるものを
体で感じることって大事だなあと思う

その価値観を都会でもどこでも、持って行って、幸せに、
この先も生きる人を増やしたいのが
私が森を通してやりたいことである


こんな会話が伝わる人ってなかなかいなくて、
その漁業の子と話せて嬉しかった


私がいろんな人に、今やっていること、これからやりたいこと
それを広く広めたいからできれば事業化したいんだよね、
みたいな話をすると

じゃあ結局何をやりたいのか

と聞かれる

自分の言語化能力が乏しくてうまく伝わらないのもそうだし

相手と自分の体験の違いがあって共通のものがなくて伝わらないのもある

そんな難しさを私もその子もお互いに感じていて

漁業の子は、「伝えることは諦めた」といった
そして、自分が楽しんでいれば気になってやりたくなる人がいるから、と。

私は今もプレゼンしたり、事業を通してなんとしてでも伝えようと頑張ったり、人を過疎地域に連れて行ったりしている。

伝えることをあきらめていいのか?と思っていた。


でも、まず、漁業の子は伝えることをあきらめたわけじゃないんだ。
言葉を通して伝えることをやめただけで
その子が体現することを通して伝えようとしている

体現するすがたを見せることによって伝えようとしてる


どんな手段でも、表現すること、は必要だ

表現し続けていたら、きっと誰かキャッチできる人のもとに届くかもしれないから

私は、あきらめたくない
幸せに、今も、これからも、私が死んだ後もずっと幸せに生きる人がいる、そういう人しかいない世界であってほしいから
本質的な幸せが蔓延しないと、そんな世界はできないと思う

だからこそ、本質的な幸せを探求しながら、表現してつくって世界にとどける人でありたい

だから、まだ言語化できていないけど、私はまだ言葉で表現し続けます

この届かない世界を

あとは、
人をその場所に連れて行って表現するし
事業化したプロダクトとしても、
学生団体としても

そんなものを表現し続けようかなと。

だから、私の理念は

『死んだ後に残る本質的に幸せな世界をつくる』



理想すぎて
ひろすぎて
抽象的過ぎて

伝わらないなあ
って思ってたけど、

諦めずにずーっといいつづけることにしました


いますぐに伝わることは諦めているけれど
いつか伝わるように、

そのために、
いろんな方法で表現し続けます

今はみんなのもとに届きそうなもので
段々自分の世界観を織り交ぜながら


私の世界観がちょっとでも垣間見たい人がいたら、
1月、長野に来てください。
連絡ください。

その時に夜に、深く深くお話ししましょう。
私も、あなたの世界に少しでも触れてみたいです。

あいきびと(@aikibito) | Instagramプロフィール

これから、この変な世界観を表現し続けるものを作り続けます
最初は
全然普通じゃんってものを出していくかもしれないですが、

本当は伝えたい世界を2年後なり10年後なり30年後に伝えられる物にするイメージをもってやっていく予定なので。

そのために、

伝える技術も、

世に広める技術も

段々と獲得していこうと思います

文章も書くし、絵も、ものも、空間も、じかんも、人との関係性も、

そんなものを通して表現し作り上げられる人になろう

そしてそこに多くの人の価値観もまざりあい、合わさったり離れたりして
それでまた新しいものができていく世界が

私が表現したいものの一つ。



まだまだ不足が過ぎるなあ


この意味わからない文章
ここまで読んでいただきありがとうございます。

またね、
よいあすを🌒




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