見出し画像

性的プレデターに狙われて

男性アイドル事務所の性的スキャンダル関連の話を、ツイッターで大量に読んだ。いろいろと思い出して、どうにも吐き出さずにいられなくなってしまった。

これから書くのは何年も続く胸やけのように感じていたこと。あのアイドル達と比べれば大した話じゃない。それでも書いておこうと思う。



僕、違うんです

昔、飛行機に搭乗する時に小さい子供だけが貰えた「おもちゃセット」というのがあった。その「女の子用」を毎回CAさんから手渡されるような容姿の男の子だった。僕はその度に男だもんと怒っていた。
我ながら相当かわいかったのだろう。変な目で見てきたり声をかけてくる知らない大人はいつもいて、それが普通だと思っていた。

思春期からは男女どちらからも性的な目で見られたり、からかわれることが増えた。そういうのは全く知らない人からされることが多く、しばしば困惑させられた。

大塚のサウナに行ったときのこと。
サウナで隣に座っていた男性に、突然僕の足の小指とその男性の足の小指を絡ませられた。指の間に小指をぐいぐい突っ込んで身体を寄せてくる。
「僕、違うんです、ごめんなさい」と言った。そういうサウナだったのかもしれないと思ったから。
彼は少し怒った風を装っていた。足の小指が他人の指と絡まったのはその時が最初で最後だ。
後で調べたが別にそういうサウナではなかった。

こういう経験は数えきれないほどある。昨日も日帰り温泉で似たような事があったくらいだ。僕は既婚の異性愛者だが、結婚指輪をしていてもこういうのは減らない。あまり関係ないようだ。
ちなみに上のサウナの話はギリギリまだコミュニケーションの一種として許容できる。断れば引き下がる程度には相手を尊重する姿勢が残っているからだ。
とはいえサウナや銭湯などで、こういう風に性的な目で身体を見られるのは非常に居心地が悪くストレスフルだ。そういう視線に気づいた瞬間から恥を感じる。それはたとえば湯舟でリラックスしていたのに、急に公共の広場にワープして全裸で放り出されたような気持ち。そういう感じ。自分が悪い気がして落ち込んでしまう。

ともあれ、本当の問題はこういうのではない。
延々と続く胸やけのように残っている経験とは以下のようなものだ。


幼少期の恐怖体験

子供の頃は公園でよく怖い目に遭った。
大人が近寄ってきて言う。
「おしっこひとりで行けるかい?」
「一緒におしっこ行こう」
「おしっこの見せ合いっこしよう!」
すでに一線を越えている。自覚をもって役所や病院へ相談に行ってほしい。
思い返せばおしっこばかりだ。どうにかして僕がおしっこするところを見たかったらしい。
僕はそういうターゲットになりやすかった。

5歳くらいの時に家族と海釣りに行った。
気が付いたら全く知らないおじさんと手をつないで、テトラポットの陰に連れ込まれそうになっていた。
僕を探していた母が堤防の上から僕を見つけて絶叫していたのを覚えている。

10歳くらいの時に、家族と秋保の温泉旅館に泊まった。
僕は深夜にひとりで露天風呂に入り、脱衣所で髪を乾かしていた。そこに全く知らない30代くらいのおじさんが話しかけてきた。中学教師だと言う。深夜の脱衣所にふたりっきりだ。
「君は物怖じしないで備品を堂々と使うから見惚れてしまうよ」言っている意味がよくわからない。何の用かもわからない。
知らないおじさんは「僕の部屋で少しお話ししない?中学進学のこととか」と言いつつ僕の手を引いた。かなりしっかりと力強く手を握られたのが忘れられない。
フロント前で待ち合わせしてると噓をついて逃げた。

頻繁に痴漢に遭う

痴漢されたことは何度もある。
エスカレートしすぎていて痴漢というジャンルに入れて良いのか迷うのもある。
記憶に残っているのをいくつか書いてみる。

大学生の時に埼京線で。ガラガラに空いている車内なのに、座っている僕の前に立ち、性器を取り出して自慰を始めたおじいさん。
立ち上がろうとするのを押さえつけられて、うろたえている僕の目を凝視して手を小刻みに動かしているのが忘れられない。おじいさんのあの目。真剣そのものだった。
僕は「このまま絶頂されたらブッカケられてしまう!」ということを最も危惧していた。これから大学に行くのにおじいさんの体液まみれでは困る。せめて目の前から脱出するまでは遅漏であれ。
残念ながらおじいさんは早漏であり、瞬く間に上り詰めてしまった。だが発射された体液は悲しくなるほど勢いがなく、そのまま埼京線の床に垂れた。
あのあと誰かが踏んだりしただろう。シミになっただろうか。この埼京線の床のことは今もたまに考える。
僕は次の駅で降りた。

高校生の時、雨が降っていた日に乗ったバス。背後から僕の股の間を通って腕が伸びてきて、股間を鷲掴みにされた。ジャパニーズホラー映画だ!と思った。腕が細くて白かったから。
振り返ると、きれいな中年女性が下品に笑っていた。
僕は次の停留所で降りた。

これらのことは表情、服の柄、どれもよく覚えている。何なら今でも時々夢で見る。

性器や自慰を見せてくる人、触ってくる人、触らせようとする人、恋人つなぎで手を握ってきた人、階段タックルしてきて倒れた僕に親切な介抱者を装った人、エロ話をしつこく聞かせてくる人、指先の何らかの粘液を僕の顔にこすりつけようとしてくる人、僕の尻ポケットに汚れた下着を詰め込んでくる人、他にも様々な人がいた。

男女比では男性7の女性3くらい。男性、女性、どちらにやられても同じだ。異性にやられたから嬉しいなどということはない。
最悪の気分になり、その後の人生において時々思い出す嫌な記憶が増える。

幸いレイプ被害者になったことはない。なりかけたことはあるが逃げた。


そしてこうなった

これら性的捕食者(プレデター)のおかげで、僕が被った人生や人格形成へのダメージはそこそこ深刻かもしれない。関連は不明だがパニック障害を発症して電車に乗れなくなったりもした。

性知識ゼロの幼少時から性的な襲撃をされる人生を送ってきた人は、「人は」と言うか僕は、思春期を通して自罰的だった。
レイプは「魂の殺人」だと言った作家がいる。そこまでいかなかったが、僕も「魂の暴行」くらいはやられた気がする。身体というものは隙さえあれば他者に略奪蹂躙されるものだと学習してしまったらしい。ある時期まで自他を問わず人間はぞんざいに扱ってもよいという狂った肌感覚を持っていた。
青年期に友人達との交流などから「それは本当は違うんだ、プレデター達を教師にしてはいけない」ということを上書き学習するまで、まともな人間ではなかったと思う。とてもおそろしい。

今は思考を軌道修正できていて、結婚もして自分や他人を尊重する生活をしている。ただ、子供をつくろうと思えないことに過去の経験が関係してないとは言い切れない。


セカンドレイパーから漂う臭い

最近ニュースで元アイドルやアスリートたちの悲痛な告発をよく見る。いままで恐怖と恥辱の秘密を抱えて生きてきたのかと想像すると苦しい。
この手の名乗りを上げた人を笑ったり揶揄したりしない社会であれと強く思う。ここからさらにセカンドレイプなどはあまりにも絶望的すぎる。

「その性犯罪は冤罪じゃないのか」と騒ぎになることがある。そういうとき、捜査結果や判決が出る前から冤罪と決めつけてセカンドレイプする人がいる。それは被害者へのさらなる性的な追撃ではないのか。そこには性的捕食者の臭いがうっすらと漂っているように思う。
性犯罪の被害者に対してセカンドレイプをする人間の意識の根底にあるのは、ボタリと垂らしたあの埼京線のおじいさんや、汚れた下着を僕の尻ポケットに突っ込んできた女性と同じものじゃないだろうか。
それは隠しきれなくなった精神の汚穢なのだろう。


いつのまにか老いて太って醜くなったからか、滅多にそういう目に遭わなくなった。おかげで今はとても安定している。ここに書いた事はほとんど遠い過去の話となった。
もはや僕はその手のことは乗り越えたと思っているので、最後に自罰的な事を書いて愉快な自虐オチで締めたりはしない。その誘惑はすごくあるが、しない。
埼京線の床の精液のシミはもう過去のもので、あのおじいさんもきっともう死んでいる。そんなものにいつまでも縛られて人生を浪費するのは良くないことだ。

持って生まれた資質によって良いことも悪いこともある。正直言ってこの資質で得した事だって僕はたくさんあるのだ。トータル差し引きで大損したわけではないと思いたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?