さとうつ

なりたい自分になるために、長年勤めていた会社を辞め、保育士となった49歳の私。 しかし…

さとうつ

なりたい自分になるために、長年勤めていた会社を辞め、保育士となった49歳の私。 しかし、待っていたのは幼少期の自分と向き合う辛く厳しい現実だった。 パニック障害、うつを発症して約1年。 再び歩み出すために、noteに参加させていただきます。

最近の記事

何が正しいのか、分からないけれど、自分軸は大事にしたい

11月1日から、グループ会社の保育園に移動になった。求人の際に希望していた片道車で30分あまりのところだ。 鬱から社会復帰し、保育士が子どもたちを怒らない、笑顔溢れる託児所に7月下旬から勤め、保育士としてのやり甲斐と小さな自信がついてきた頃だった。 勤務先が近くなり、パートから正社員になることができた。そう、喜ばしいことなのだが、何故か喘息症状が現れ始めたのだ。グループ会社でも、業務もそうだが、現在、保育方針の違いに戸惑っている。 以前の託児所は、 基本、保育士は怒らない。子

    • 今、夢だった保育士になれている私

      (昨年はうつで療養中だったため、数えないとして) お盆さんをまるまる休めたのは、何年ぶりだろう。 21年間サービス業を生業にしていたので、世の中の休みが稼ぎ時。年末年始を除いて、連休を取ることは難しかったからな。新盆でさえ、1日しか休みが取れなかったもの。それが今年は4連休できた。高校生になった娘も言葉は出さないが、嬉しそうだ。と感じとる同時に、この歳までなかなか休みが一緒にならなかったことを悔やみもした。 子どもは親が大好きだ。怒られても、一緒にいる時間が少なくても、親を

      • 復活か⁈再び保育士に挑戦してみる。

        先週から、とりあえず3日間保育士をやろうと、 片道1時間かけて行くことにした。 なぜ3日間だったかというと、本来なら片道30分の勤務先だったはずが、グループ会社の託児所に保育士が足りないため、そちらに行って欲しいと哀願されたのだが、通いきれるか心配もあり、とりあえず3日間やってみます!となった。 安請け合いはできない。何せ鬱だったのだから、自分との話し合いを重ねてみないことには、また再発しかねない。ここは慎重にせねば… これ、以前の私にはなかった感覚。 頑張り過ぎるのだ。

        • 久しぶりなnote〜何となくアクアリウム始める〜

          さて、 相変わらず無職であるため、鬱々とした気持ちが続いている。 何か変えたい。 いらんこと考えなくて済む方法はないか… 自分の好きなこと、モノは…生き物。 ペットは飼えない。 同居している姉は幼い頃、 父の自転車の荷台に乗っていて、 犬に追いかけられた末、噛まれてしまった。 それ以来、犬、ネコをはじめ、殆どの動物を嫌い、苦手になった。 これも一種のトラウマだろう。 私は、犬が怖い。 やはり幼い時、近所にシェパードを飼っている家があり、前の道を通る度に檻から迫るように吠えら

        何が正しいのか、分からないけれど、自分軸は大事にしたい

          昔の自分語りは少しお休み。最近のこと〜新しい扉は開かれるか⁈

          本日は夏至だそうで。 運気が変わるようなことがあるのだとか。 占いを信じているわけでもないのだが、 ここ最近、YouTubeの魚座動画をみている。 「新しいステージへ❗️」なんて言われると、 今の状況から抜け出せるんじゃないか、と期待してしまう。 背中を押してもらいたいんだよね。 今の状況を肯定してもらいたいんだよね。 過去の自分の判断を正しいと思いたいんだよね。 じゃなきゃ、自分が保てない。 天気のせいか、喘息の症状が出る。 先日、就職面接に行った。 1人採用枠で数人応募

          昔の自分語りは少しお休み。最近のこと〜新しい扉は開かれるか⁈

          結婚→出産→希望と絶望の間④

          母乳に困ることはなかった。 右乳で授乳していれば、左乳からポタポタ出てくるくらい。小さめに生まれた娘は、疲れてしまうのだろう。ガブガブ飲めなかった。それでも小さな口は乳首を探し当て、一所懸命に飲んでいる。涙が自然と流れてくる。当初、1時間30分毎の授乳は、愛しさと疲労とが入り混じった涙だった。 小さいくせに、何故か泣き声はどう聞いても他の子と比べて、ハスキーだった。入院中も、私が爆睡している中、同室の方から、 「今泣いている子。たぶん、○○さんの赤ちゃんだと思います。」と教え

          結婚→出産→希望と絶望の間④

          結婚→出産→希望と絶望の狭間③

          その日は突然きた。 前日に定期受診した際、産道口が開き始めているから、そろそろ出産かな、と医師に言われた。準備はしてある。いつでもOKです! 翌日、朝から何となく具合が悪い。まぁ我慢できるくらい。だが、旦那さんと姉が出掛けてから嘔吐と下痢が止まらなくなった。食中毒で入院した時と全く同じ症状だった。 何を食べたのだろう?ちゃんと火を通したものを食べているし、念のため賞味期限だって守っている。急に怖くなった。どうしよう。ごめんね、赤ちゃん、ごめんね…と泣かずにはいられなかった。

          結婚→出産→希望と絶望の狭間③

          結婚→出産→希望と絶望の狭間②

          当時、実家を出て私は姉と暮らしていた。結婚するなら、まずは住まい。公団を申し込んだが抽選で落ちてしまった。アパートで暮らすには、若い彼はまとまったお金がなかった。コンパニオンで稼いだいくらかの貯金がある私が出せばいい、と思った。 子どもの頃から現実的な姉は、これからお金がかかる。赤ちゃんのためにも家の2階に暮らせばいいと言ってくれた。 独身の姉は公務員。小学生の頃から自分は結婚しない、したくないと思っていたようだ。ひとりで食ってく、を覚悟し、30歳手前で土地を購入し、家を建

          結婚→出産→希望と絶望の狭間②

          結婚→出産→希望と絶望の狭間①

          彼は職場に来なくなった。 ルートでまわる仕事だったため、私のいる会社を避けたのだろう。 半年くらいしか付き合わなくても、 職場でも自分をコントロールできなくった。 あの時は弱っていた。だからか、共通の友人に勧められて、告白してくれた別の男性と付き合い始めた。 11歳年下の笑顔が最高に可愛い、結婚した彼だ。 彼は小学1年生から母親がいないと聞いていた。 あぁ、だから無骨なお弁当。母性本能がくすぐられてしまった。でもでも、私はもう32歳。付き合うとしても結婚を前提とします!はい

          結婚→出産→希望と絶望の狭間①

          私の途中からの人生〜先に後半から〜

          前職は某ワインショップの副店長。 東京からUターンで27歳中途入社。 期間アルバイトが何やかんかで21年勤め、 その間ソムリエを取得し、いつの間にか固定客がつく程になった。そりゃ長く勤めれば当たり前か。 職場結婚をした相手は11歳年下だった。結婚をする前には12歳年下と付き合っていた。当時私は32歳。付き合い始めるもコンパニオンのダブルワークをしていた私は多忙のあまり、半年間デートらしいデートもできず(秋〜冬にかけてコンパニオンは稼ぎ時)、いつの間に振られた… 否、決定的なこ

          私の途中からの人生〜先に後半から〜

          なんでこうなった⁉️

          鬱になってから、もうすぐ1年になる。 今、息をしていること。家から新緑の季節を眺めていること。noteを書いていること。 どれひとつとして想像していなかった。 私は、21年勤めた会社を辞め、子どもを産み育てる中で、いつかはなりたいと思っていた保育士になった。 だが、研修を兼ねて8日間の勤務で辞めることになった。 そこは療育センターで、怒号があちこちから聞こえる、私にとってはキツイ現場だった。 正社員として入社した私に、パートの先生方からの会社裏情報を聞かされる。児童の登園拒

          なんでこうなった⁉️

          うつ病患者のつれづれ日記

          うつ病になって、約1年。 49歳で発病したおばちゃんのため息混じりの日常と、 直面した幼少期のしがらみについて考えたことを綴って参ります。

          うつ病患者のつれづれ日記