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余命を尋ねられた時の、ある緩和ケア医の説明が心に残った話

母が末期ガンと判明した時、緊急入院先で余命4~6ヵ月と言われたが、本人は自分の身に何が起きているか、なかなか理解できなかった。

母の家系にはガンになった者は一人もいなかったし、70歳越えてからパートも始め、パワフルに好きなことをしていたので、本人も周囲も軽く100歳を越えて生きるだろうと思っていた。

ガンになったということ、それも末期だということ…理解できないのか、受け入れられないのか、生き延びる自信があるのか…彼女は、まだまだ生きるつもりでいた。エアコンを新しくしたり、ダイニングテーブルを買ったりして、更には家をバリアフリーにリフォームしようとしたりした。

余命宣告されたからといって、それを受け入れなければならないとは思わない。統計はすべてではなく、必ず『例外』はあるし、その例外が誰なのかは、医者にもわからない。

母は手術できる状況ではなく、抗がん剤をすれば余命は伸びる可能性が高いとされたが、抗がん剤にたいして抵抗感が強く、私が「受けるだけ受けてみて、どうしても辛ければ止めればいいじゃん。やらないで後悔する方が嫌じゃない?」と言うと、母も「それなら受けても良い」と言った。実際には、抗がん剤を受ける間もなく、旅立っていったが…

母の様子を見ていて、自分の状況をわかっていないことに、私は焦りを覚えた。どうでもいいことに時間を使ってしまい、死を受け入れられないまま旅立つのは本人も辛いだろう。どう伝えたらいいのか迷っていた。

すると、ある朝、母が「何だか体がおかしいんだよね」と言い出した。やはり自分のことは自分がよくわかるんだろう。

私が「そうなんだ…お母さん、末期のガンだって言われたよね」と言うと、きょとんとしている。少しして「もうすぐ死ぬってこと?」と訊かれたので「それは私にもわからない。今日先生が来る日だから、先生に聞いてごらん」と言うとうなずいていた。

私は急いで、母のいないところから、緩和の在宅医療担当医に電話して、状況を説明した。緩和医にはよくあることらしく、先生は驚きもしなかった。

母の「いつまで生きれるのか」という質問に、先生は穏やかに答えた。
「それは誰にもわかりません。人は皆…ここにいる人も、全員いつかは死にます。死に向かうというというのは、できないことが増えていくことです。
走れなくなり、歩けなくなり、食事ができなくなり…最期は呼吸ができなくなり、死に至ります」

「一般的にがん患者さんは、できなくなっていくペースが速いと言われています。私たち医療スタッフは、お母様ができる限り苦痛なく『できる』時間が長くなるよう努力します。お母様はできるうちに、会いたい人に会ったり、行きたいところに行ったり、食べたい物を食べたり…できることを楽しんで下さい」

母は不思議なほど落ち着いて、自分の状況を受け入れた。緩和医の説明が、とても思いやりに満ちていて、本当に良かったと思う。あの段階で『余命4~6ヵ月です』なんて言われたら、どうだったろう…母を怖がらせることなく、しっかりサポートしてくれる味方がいると思えて、彼女も安心しただろう。

私は今もよくこの話を思い出す――できるうちにできることを楽しむ。だって、いつできなくなるかわからないから――

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