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世界の辺境と室町時代の共通点・相違点①

皆様、こんばんは。
と言っても書いているのは夜中……何日か何か書かないとムズムズしてきたので、徐々に元気だった頃の調子を執筆リズムだけは取り戻しつつあるようです。

今回は、高野秀行・清水克行著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を取り上げ、世界の辺境と日本中世が意外と似てるな。ここは、違うな。ということをご紹介したいと思います。
なお、2回に渡って紹介予定ではありますが、内容は本の半分いくかどうかを能楽や室町時代、榎並猿楽が生きていた頃の人々の考え方を今の時代で見られた場所なのかな?という点に基本は主眼を置いての執筆になるので、本当はめっちゃ面白いお二人の対談はぜひ、本で全部確認してください。
結構、ビックリする価値観とかなるほどなぁ。って話とかでてくるので、世界と中世日本を知りたい方はオススメです。


かぶりすぎてる室町社会とソマリ社会

まず、最初にソマリ人とは、アフリカ大陸東端「アフリカの角」と呼ばれる地域に住む民族であり、ソマリ語を話し、イスラム教を信仰する人々です。

高野さんは、ソマリの人々の元へ行って一緒に生活したり、調査したりしているノンフィクションライターさんです。(直近の書は『イラク水滸伝』なので、マジで辺境によく行かれる方です)
対する清水さんは、日本中世史を研究されている方で、一時は高校の先生もやっていたそうです。
私が前に応永という時代を取り上げた飢饉の話は、清水さんの著作を元にまとめています。

その二人の対話の中で、日本の中世には、幕府法など公権力が定める方がある。一方、別次元の村落や地域社会や職人集団の中で通用する法慣習があった。それを訴訟時に都合の良い法理を持ち出して、自分の正当性を主張するようだったらしく。
他のアジア・アフリカ諸国も表向き西洋式の近代的な法律があるが、こちらも土着的な法や掟が残っている点が日本の中世と共通していると指摘している。
また、ソマリ人も室町人も身分に問わず、強烈な自尊心をもっており、損害をうければ復讐に訴えることを考え、しかも自分の属する集団のうけた被害を自らの痛みとして、共有する意識をもちあわせていた。
だが、両者の違いは、ソマリ人はトラブルをお金で解決するという道もあった(例えば男ラクダ百匹、女ラクダ五十匹など)が、日本ではない。おそらく肉親の命といったものは、お金に替えられないという意識があり、そこから親の仇討ちや主人の仇討ちなどが美談となるところからも見えるだろう。

中世日本では、武家や公家の屋形にも「治外法権」があり、殺人犯が逃げ込んできても屋形の主人は理由を問わず許容した。
これと同じようなことは、タリバンのパシュトゥーン人にもあり、庇護を求めて逃げてきた人は誰であっても守るのが男の義務と考えていた。そのため、アルカイダのウサマ・ビン・ラディンを匿ったと言われている。
ソマリ社会も自分が招いていない客人でも、徹底して守る。だから、政府側などに敵対する組織の人は、外国人という客を狙うことで政府は客も守れないのだと、メンツを潰すために行うことがある。

ソマリランドのモガディシュの氏族自治区で出会った民兵を高野さんは「かぶき者」とたとえた。それはわざと着崩した服装をしたり、女物のスカーフを頭に巻きつけたりしていたからだ。
近世日本も江戸幕府第5将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を出す辺りまで、かぶき者を自称していた者は、戦国っぽさをアピールするために犬をわざと食べ、辻斬りを行なっていたので、それを止める意図もあったのかもしれないと指摘する。

未来に向かってバックせよ!

古代の日本は、中華文明に憧れ、様々なことを取り入れていった。しかし、平安時代あたりから離脱を始める。
例えば、それまでは中華文明のように、と自前で銭を作っていたが、中国から輸入した方が早いと輸入したものを使うことや古代の全国につくった直線の高速道路のような道も室町辺りでは山道のようになっていた。途中で整備を投げ出したのだろう。
また、対外的な脅威も7世紀に白村江の戦いで負けた直後くらいのものだったので、中華文明のように専制国家を作る必要がなかったからでは?と推測される。

日本語の「サキ」と「アト」は中世まで、「アト」には「未来」の「サキ」には「過去」の意味しかなかったが、16世紀には意味が加わった。
これは他国でも中世までの意味が共通の認識だったようだ。
では、なぜ意味が加わったのか?それは、日本は神がすべて支配していた社会から、人間が経験と技術によって未来を切り開ける社会に移行したことで、未来は前、つまり「サキ」に開けると認識が変化したからだと考えられる。

タイトルの未来に向かってバックせよ!は、日本語での中世までは「アト」が未来を指していたことを英語で表現したのだろう。

最後に蛇足として「ムラ社会日本」の原型は、応仁の乱の前後に生まれたらしい。
古来からの考え方でも何でもないらしいということも書いていたので、気になる方は本書をぜひ詳細をご確認ください。

本日のまとめ

この本は、10月27日の講演で高野さんにサインをしてもらったものです。
最初は普通に読書だけしようと開いた本でした。しかし、世界の辺境と室町時代の共通点などが二人の対談によって世界と日本の距離が近くなる。
また、日本史だけを見ていてはわからないことも知ることができる。
これは今後、他の大阪市東部や摂津国などを理解するには役に立つ視座の一つになると考え、取り上げました。
次回は、2回目の更新をお待ちいただけると幸いです。

今回もおつき合いいただきありがとうございました。

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