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【可能性を広げるスイッチ】を、たくさん持っておく/週半分ホームスクーリング①

「ナラ枯れ」の根本要因

珍獣・兄が、学校をお休みする日の山さんぽ。
途中で、何やら作業中の人たちと遭遇した。
聞けば、これからナラ枯れした木の伐採をする、とのこと。


ナラ枯れ。

珍獣たちが通う自然保育園の野山遊びでも、2〜3年ぐらい前から木々のナラ枯れが深刻化し
寄付を募って伐採していた。
この地域全体で、まだまだナラ枯れの被害は拡大しているようだ。

ただその原因については、以前ちらりと聞いた、日本全体の雑木林でなんとかウイルスが蔓延しているから…という説明はわたしの腑に落ちず
地中の水脈や空気の通り道を人工的に断ち切ってしまった、現代の人為的所業の方に根本要因がある、という理解に落ち着いている。
地球環境の再生に尽力されている、千葉県の「地球守」さんの活動に少しだけ触れる機会を以前いただき、学んだことだ。

「ひと」のからだに似ているなぁ、と思う。
病気や◯◯ウイルスを闇雲に恐れるよりも、からだの自然免疫力や自浄作用が低下していることの方に目を向けようよ、ということ。

…そんなことをツラツラ考えながら、ふと「これこそ絶好の学びの機会じゃないか!」と思い立ち
ナラ枯れという目の前の状況を切り口にして、その根本要因にまつわる話を噛み砕き、珍獣・兄に振ってみた。

が、

ほぼ無反応。Ω\ζ°)チーン

まあ、興味ないもんね…しょうがない。
興味のないことが、学びの端緒になるはずがない。

早々に諦めて、彼が、最近ご執心の「パウ・パトロール」のあらすじを熱心に説明するのを右から左に聞き流していた時 ←同じことしてる

ドーーーー−ン

辺りに轟音が響いた。

先ほどの作業場所に急ぎ戻ってみると、根本からロープを括り付けられた高木が、横倒しになっていた。
そびえ立っていたときは、高さはあるもののヒョロヒョロして見えたけれど
地面に横たわるその姿には、重厚感があった。

何十年、ここに立っていたのかな。

珍獣も、倒れている木をじっと見つめていたが
数秒して(早)、「行こう行こう」と先を急かしてきたので、その場を後にした。

7歳の珍獣は今、ナラ枯れにも自然環境をめぐる情勢にも、からだの仕組みにも興味がない。
でも、五感で触れる「体験」を重ねておくことで、もしかしたら今後どこかで、それらの体験が自分の興味・関心とつながる瞬間があるかもしれない。
そんなふうに自分の可能性を広げる【スイッチ】は、たくさん持っておいたほうがいいだろう、というのがわたしの考え。
だから、せっかく週半分も家にいるのなら
「これは学びになる・ならない」とわたしが頭で考えて、取捨することはなるべくせずに
一見無意味に感じられても、五感を通じた体験をしていこうと思っている。

子ども時代の【教育】の正体って?

同時にこれに関して、自分自身に言い聞かせているのは
体験の機会や環境を、こちらから【与える】スタンスでいないように…ということ。
義務教育をとっくの昔に履修済みとはいえ、ひととして生きている以上、わたしの学びは終わっていない。
だからわたし自身も主体的に、珍獣と一緒に学ぶ姿勢を持っていたい。(超絶難しいけど。

そう考えると、ますます
子ども時代の【教育】の正体って、一体何なんだろう…?

珍獣の週半分ホームスクーリング生活は、わたしにそんな問いを突きつけているような気がする。

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