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小説「浮遊の夏」⑧ 住野アマラ

緩和ケアとしてモルヒネを使用している。

呼吸が苦しそうだと一定して体内に送るモルヒネとは別にフラッシュという一時的に量を増やす処置をする。

母は薬のせいなのか、脳に転移した腫瘍のせいなのかは分からないが、時折この世のものとは思われぬ美しい笑顔を見せた。

この笑顔は常人の見せる笑顔ではない。

母はたどたどしく「ありがとう」と言った…。皆にありがとうと伝えてと何度も呟いた…。

所用で父が家に帰り私は母の浮腫んだ足をさすっていた。

また苦しそうなのでフラッシュをお願いしますとナースセンターに行き看護師さんに頼んだ。

しかしあまり頻繁だと薬の耐性ができてしまうし心臓の動きを抑制したりするので体に負担だと説明されたが、とりあえずお願いした。

そのせいなのか急に母の酸素レベルや心拍数が下がってきた。

看護師さんは先生に連絡!と叫び慌ただしく母の名を呼んだ。

するとピコンと心拍数が持ち直した。

そうか呼べばいいんだ。

私も母を呼んだ。

「お母さん‼」

「お父さんが来るまで待って‼」

「がんばって‼」

「お母さんお願い‼」

容態が急変してすぐに連絡したのに隣駅の家から父は中々戻って来ない。

母は見るからに必死に耐えている。

川の流れに流されないようにしがみつき必死に頑張っている。

永遠とも思える時間は三十分くらいだったろうか。

その間、絶えす母を呼び続けた。

やっと父が到着すると母はすぐに息を引き取った。

何でこんなにも戻るのが遅かったかといえば父は悠長にも病院まで歩いて来たのだ。

父も怖かったのかも知れない。

いつの間にか主治医も来ていた。

ご臨終ですと言われても母の見た目は何の変化もない。

静かにベッドに寝ている。

「よく頑張ったね」と婦長さんが言った。

母に死化粧を施すために私たちは病室を出され廊下の一角にある休憩スペースへと移動した。

父は「待っていてくれたんだな、母さん」と呟いた。

本当にそうだ。

母はすでに危篤状態で意識不明だったのにもかかわらずちゃんと耳は聞こえていたし頑張ってもいた。

意識が確かにあったのだ。

そう思った。

病室に戻ると母はさっきより安らかな顔をしてベッドに横たわっている。

その顔は少し笑っているようで光り輝いて美しかった。

〈続く〉

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