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小説「浮遊の夏」② 住野アマラ

 そんなこんなも昨年の年末に「お母さん乳がんの疑いありだから検査入院するよ」と連絡があり、私が慌てて実家へ様子を見に行くと母は特に調子が悪そうでもない。逆に私の顔色の方が良くないと心配されて、今時二人に一人は癌になる時代よとあっけらかんとしている。

「じゃあ、あの、ま、連絡して」と私が帰ろうとすると母は一緒に横浜に買い物に行こうと言い出した。今思えばこの外出が二人で出かけた最後だった。後から過ぎた時間が貴重だと分かっても些細な日常の記憶の断片は曖昧にしか残っていない。

私たちが出かけたその日は丁度歳末セールの時期にあたり街も駅も活気に満ち混雑していた。あちらこちらと二人で見て回り、夕食に馴染みのとんかつ屋に入った。母はロースとんかつセットをぺろりと平らげ、味噌汁が美味しいとか大根のぬか漬けの味がいいねとか妙な所に感心して疲れてもいないようだった。

私は季節限定の牡蠣フライセットをチョイス。タルタルソースととんかつソースと辛子をたっぷりつけて食べた。「そんなにつけてバカじゃないの」と大笑いする母の元気な様子に一応安堵したが、私は食が進まず珍しくご飯を半分残してしまった。
〈続く〉


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