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[小噺]ウクレレと僕 #1 ~出会い~

いつも、趣味と聞かれるとすぐに「ウクレレ」と答える。

実際にプロフィール上でも「ウクレレ」と書いてある。


僕の周りの人たちには、僕の歌を何度も聞かせているが

このnoteを見ている人にとっては、趣味の枠として「ウクレレ」

と書いてあるだけで、本当にこいつはそんなものやっているのだろうかと感じる人が大半だろう。

むしろ不気味さすら覚えるかもしれない。

そこで、僕は「趣味が溢れかえっています」というプロフィールを

もう少し説得力のあるものにするために

溢れかえった趣味を、一つ一つ片づけていこうと思う。

今回はウクレレver、次の章は散歩verなんて路線変更できたらなと感じている。

さあ、本題に入ろう。

この話は、現在進行中の物語だ。

ウクレレを愛する誰かと

ウクレレという楽器を知らない誰かと

ウクレレを始めようと思っている誰かと

少しでも共有できたら嬉しい。

そんな物語になればいいなと思っている。

出会い


僕とウクレレの出会いは家にあったウクレレを見つけた時からだった。

なんか、ギターより小さくてちょっとダサいかもなんて思ってしまった。

ただ、僕は知らないのである。

この小さな弦楽器に秘められたさわやかな音色と

繊細さや、切なさを。

そのウクレレは母のもので

教室に習いに行っていたと思う。

母親はウクレレを二本持っていて

最初に買ったやつが、1500円くらいのもので、買った本人が「おもちゃ」というウクレレである。

音がすこしだけ不安定なのだ

あと、何だか重たい。

二本目は、割と高めのウクレレで

綺麗な音がでると思う。

値段も25000円くらいの本気を出して買ったウクレレである。

一本目のウクレレより、一回り大きいコンサートサイズのウクレレなのだが

なぜかこちらの方が軽い。

最初に弦楽器を見たら誰もが引きたくなってしまう。

僕は4弦の小さな楽器を手に取った。

その小さな楽器は、音と人と心を繋ぐ、小さくて大きいものだった。

最初の壁

楽器を買ったら、そのあとは、その喜びに浸りながら練習するわけだが

ここで、楽器って単純そうに見えるけど、マジで難しいじゃん!ってことに気づく。

ギターやっている人なら、ウクレレなんて簡単っしょ?って思うかもしれない。

確かにそう!ギターに比べると何曲かはできるけど、「あのコードいちいちなんだっけ」って確認しながらやるのは、心が折れる。

だから、始めた人なら最初に練習という壁にぶつかるのはウクレレであろうと、ギターであろうと何の楽器であっても変わらないと思う。

僕も、もちろんその壁にぶつかった。

僕は中学校の三年くらいだったと思うが、(2018年あたり)

母親に弟子入りを志願して

カエルの歌などの、簡単な曲のあれこれに挑戦した。

だけど、DコードやGコードなどを弾くときに

指を窮屈な形に変形させるのは、とても気持ちが悪かった。

特に、僕は指の窮屈な形が嫌いで

数字の3を表現するのに人差し指から薬指にかけてをあげると思うのだが

あれが苦手だった。なんか三だけ余分な力がいるような感じがして。

それと似た感覚だ。

当然、中学の未熟だった僕は、コードなんてもう覚えることすらせずに

ひたすらストロークだけをしていた

ウクレレには、翌日以降は一切触らなくなった。

つまり、僕は音楽の道から逃げた。

逃げるのが実は幸せの近道だったりすることもあるということを、この時はまだ知らなかった。

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