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森田邦久『科学哲学講義』【基礎教養部】

書評は上のサイトを参照(公開までお待ちください)。

ちなみに、800字書評を書くとき、800字より多めになることが多く、そこから削って800字以内にする作業があるのだが、その作業をchat gptにやらせるとクソみたいな文章になることがわかった。プログラムを書く時やちょっとした調べ物をする時などはchat gptは大変便利なのだが、こういったことはchat gptは苦手なんだと思った(こちらの入力を工夫すればもっとマシな文章ができるかもしれないが)。

この本を選んだ理由

今までのNote記事でも何回も書いているように、私は大学で物理の研究をやっている。科学の研究をやっている人間として、科学に関する書籍を読むことは大事なことだと思うので、今までいくつかの科学に関する書籍を読んできたのだが、そういえば、科学を実際に使って研究している人間が書いたものしか読んでいないことに気づいた。そこで、今回は科学のプレイヤーではなく、科学そのものについて哲学の観点から研究する、科学哲学についての書籍を選んだ。800字書評にも書いたのだが、この本の著者である森田邦久さんは、理学博士と文学博士の両方を持っている人である(すごい)。

感想など

科学で何気なく使っている手法・論理は実は正当化するのが難しいということが前半部分に書かれている。例えば、物理では「こういう理論を考えれば実験事実をうまく説明できる」というような論理が出てくるが、その論理の正当性を与えるのはかなり難しい。もちろん、そういった論理を使っている科学が信じるに値しないかいうことでは決してない。ただ、実は論理の正当性を与えるのが難しいという事実を知った上で研究することは大切だと思う。科学を研究している人の中には科学が絶対的に正しいと信じている人も多くいると思うので、ぜひその人たちにはこの本のような科学哲学の本を読んでいただきたい。

第2章には、エントロピー増大則が時間の向きを決めているといったことが書かれているが、それは以前読んだ『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ)の結論(の一部)とほぼ同じである。この他にも以前読んだ本とほぼ同じようなことが書かれていて、そういったところは速く読めた。本をたくさん読むほど本を読むのが速くなるとよく言われるが、こういうことなのかと少し実感した。

ネタバレ注意!(進撃の巨人を終盤の方まで読んでいない/見ていない人はネタバレになるのでネタバレされたくなければ次の見出しまで飛ばしてください)

進撃の巨人はアニメで現時点で最終回以外は見てきたのだが、その中で、違和感をずっと思っていたことがある。それは、進撃の巨人には、未来を見る能力があり、その未来には逆らえないということである。その違和感は、普段、我々は過去から未来への時間の流れを感じながら生きているからであるが、それをわかりやすく説明している部分が第2章にあり、うまく言語化できすっきりした:

そして、因果の場合は色以上に、私たちはそれを見るときの条件を自由には選択できません。それゆえ、あたかも「原因が結果に先行する」ということが、客観的な事実であるように思えるのです。では、その私たちを「原因が結果に先行する」と思わせる「ある一定の条件」とはなんでしょうか。私たちは、

過去を知っていて未来を知らないがゆえに、過去は固定されていて未来は開いているように感じる。

この事実こそが、私たちが自由に変更することができない事実であり、それ(過去を知っていて未来を知らないこと)が私たちに原因は結果に先行すると思わせる条件なのです。

森田邦久『科学哲学講義』第2章 原因なんてない?ー因果の実在について p77-78

科学と宗教

科学で使われる論理・手法を突き詰めて考えると確かに正当性を与えるのが難しいのは事実である。そういった点で、科学と宗教は実は似たようなものではないかと(特にジェイラボ内で)言われがちであるが、決してそんなことはないとここで強調しておきたいと思う。科学はアナクシマンドロスの時代から今まで精錬されてきたものであり、自然現象の理解という点では宗教とは精錬のされ具合が大きく異なる(宗教は自然現象に対する説明に根拠はない)。もちろん、本文中にも書かれているように、どちらにも属さないグレーゾーンが存在し、今後の研究によってはそれが科学に属するか宗教(などの疑似科学)に属するかは分からないが、科学は様々な要素が複雑に絡み合っており、科学全体、宗教全体として見たときに、科学と宗教は全く異なるものだと言える。科学と宗教は実質同じだと思っているような人は本書の第6章を読んでいただきたい。

ちなみに、chat gptに科学と宗教の違いを聞いてみたら次のような返事が返ってきた:

科学と宗教は、異なるアプローチや枠組みを持つ異なる知識体系です。以下は、それぞれの特徴と違いについていくつかのポイントを挙げてみましょう。
1. 方法論の違い:
科学: 科学は観察、実験、論理的な推論に基づいています。科学者は仮説を立て、その仮説を検証するために実験を行い、結果を観察・測定してデータを収集します。科学は客観的で再現可能な結果を求めます。
宗教: 宗教は信仰、神秘的な経験、聖典や伝統に基づいています。宗教の知識は信仰と神聖な経典から得られ、それは通常、直感や霊的な経験に依存しています。
2. 真理へのアプローチの違い:
科学: 科学は事実に基づく知識を追求し、常に新しい証拠やデータに開かれています。科学的な理論は経験的な検証に基づいて修正され、進化します。
宗教: 宗教はしばしば信仰に基づいています。信者たちは信仰を通じて真理を見出し、伝統的な教えや聖典を通じてその真理を理解しようとします。
3. 目的の違い:
科学: 科学は物理的な現象や自然法則を理解し、予測することを目的としています。科学は技術の進歩や社会の発展に寄与します。
宗教: 宗教はしばしば倫理や道徳、人間の存在意義や超自然的な次元に焦点を当てています。宗教は信者に精神的な指針を提供し、人間関係や道徳的な価値観を形成するのに寄与します。
4. 絶対性の違い:
科学: 科学的な知識は常に再評価の対象であり、新しいデータや観察に基づいて修正されることがあります。科学は不断の進歩と変化のプロセスです。
宗教: 宗教はしばしば絶対的な信念や教義に基づいており、変更されることが少ない場合があります。信仰が安定していることがしばしば重要視されます。


これらの違いを理解することで、科学と宗教がそれぞれ異なる領域で役立つことができ、お互いに対立するのではなく、補完し合うことができると考えることができます。

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