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シン・情報化社会

テレビのニュースなどに触れて、「世の中の大きな流れや考え方」をアップデートしていき、それらを自身にも応用して、環境や時代性(タイム感)にアジャストしていくのは、いまや現代を生きる人の最低限のエチケットみたいなもの。

そんな日々流されるニュースは、その背景や結果に至る状況など、「公平に分かりやすく伝える」という本流の意図で作られているか?「分かりやすく噛み砕く」という名の下に、実態よりもかなりシンプルかつ歪曲されたりしてやいないか?まあ、テレビなんかは時間の都合を立て前に、なんか伝えてるようで、何も伝えていないようなニュースがほとんど。で、そんな時は私も例に漏れず、インターネットやTwitterで、そのニュースのことをさらに調べたりする。

で、最近私が嫌なのは、例えばテレビで取り上げられているニュースに対して、Twitterなんかで展開される、血で血を洗う「泥試合」や「罵り合い」。または「公開処刑」。なんだか、瀕死の亡者たち同士の殴り噛みつき合いか、はたまた血の池で自分だけ生き延びようとする餓鬼の群れを見るようで、まさに地獄の様相。

例えば、一つのニュースを「肖像画」とするならば、その肖像画に対して、「何で後頭部が描かれていないのか!それは切り取りだ!」などの、明らかに理不尽なツッコミが飛び交ってたり、、。一億総ツッコミ時代とは、マキタスポーツさんもよく言ったものだ。ツッコミビーチフラッグの取り合い。果ては、もうツッコミの質よりも「いかにぶっ飛んだツッコミを豪快にぶっ放せるか?」がゲームの趣旨にすり替わってたり。。もはやニュースの深層なんて、どこへやら。。

そんな状況だから、最近は「ニュースに触れるのが面倒くさい」になってきたりする。。

もともと半信半疑だったメディアやニュースに対しての私の態度は、そんな状況も相まって、いまや2信8疑くらいになってきてる。

あー、いやな時代だこと。。

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