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村上春樹さんに御用心

定期的に村上春樹さんの小説を読み直したくなります。
昨日はオーディオブックで「一人称単数」を聴きました。新刊を買って読んだのは3年半前。改めて聴いてみると、驚くことほど内容を覚えていませんでした。
一番印象深かったのは、女の子に演奏会があると嘘をつかれていた主人公が女の子のお兄さんと話す場面だったのですが、そのシーンは2つの短編を合わさって覚えていたものでした。実際は演奏会の話と、彼女のお兄さんと話すのは別の短編だったのです。
人の記憶というものは(というか、僕の記憶)はいい加減なものですね。

もちろん内容は面白いし、文章は素晴らしいのですが、村上春樹さんの小説を読む(聴く)と気をつけなければいけないことがあります。
自分の文体が村上さんの文体に似てしまうことです。村上さんの文章はあまりにうまくて、自然なので、知らず知らずのうちに影響を受けて、自分の文体が影響を受けて村上さん流に寄ってしまいがちです。

村上春樹さん以外にも、スティーヴン・キングや三島由紀夫さんなど「すごい!」と思った文章を書く作家はたくさんいますが、村上春樹さんの文体は、その中でもなぜかクセになるんですよね。いつの間にか自分の文体が村上春樹さんの文体に侵食されることがあります。
小説を書きはじめた頃、純文学に憧れた時期があって、当時の文体は、もろ村上春樹でしたね。
それだけ中毒性が高いんですよ、村上春樹さんの文章って。
平易な言葉しか使っておらず、とても自然な文章なので、誰でも真似できそうですが、同じような文章を書こうとすると、これが本当に難しい。他の人が真似しようとすると、平易というか真っ平の無味乾燥なつまらない文章になってしまいます。

最近書きはじめた新作の冒頭をオクさんに読んでもらったら、「村上春樹だねー」と開口一番に言われました。
これは危ないです。危険な兆候です。このまま書き続けると、劣化コピーみたいな小説になってしまいます。長編を20作品以上書いてきて、昔よりは自分の文体が確立し、村上さんへの耐性ができたと思っていましたが、まだまだのようです。
今、村上春樹さんを抜くために、全然テイストの違う小説を慌てて読んでいるところです。

(この記事のタイトルは、内田 樹さん著「村上春樹にご用心」をお借りしました。もちろん、本文と内田 樹さんはなんの関係もありません)


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