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「親ガチャ」を癒す小説

「親ガチャ」という言葉を耳にする機会が増えたのはここ数年だと思います。多くの場合、「親ガチャ」は悪い意味で使われます。親ガチャで外れたから、自分にはお金がなく、虐待されたりヤングケアラーとして辛い人生を送ったというふうに。

「親ガチャ」という言葉が広まるぐらいに現代の社会は閉塞化、経済の固定化が進んでいるのかもしれません。
ここ30年の間、日本の経済は成長していないわけで、ストック(資産)を持っている家庭が有利だったのは間違いないです。
お金がない家に生まれたことが不幸と同義だと思いたくはないですが。
お金があってもなくても、才能があってもなくても、容姿についても、持って生まれたもので生きていくことは変わりがないからです(本当に辛い人生を送っている人がいることは承知しています)。

お金持ちだからって、才能がない人はいるし、性格も同様です。
同一の親から遺伝子を引き継いでいるはずの兄弟であっても、発現の仕方(あるいは偶然が引き起こす環境の違い)によって才能や性格が全く違うことは普通です。現代では遺伝子レベルでの選別は許されていません。
お金や環境だけではなく、もって生まれた要素のあらゆることが「ガチャ」なわけです。
環境は、行政や地域によってフォローができやすいものです。生活保護など多くの制度があり、それらの助けを改善していくことで生まれた環境を変えることができるでしょう。

でも、ひどい環境で傷ついた心を癒すことまではできないかもしれません。それができるのは文学をはじめとする物語だと思っています。
最近「毒親」が登場する小説が増えているのは、そういった境遇で生きてきた人を癒す意味があるのかもしれません。
自分と同じような境遇の人が再生していく物語を読む(聞く)ことで、自分も一緒に救われることを願って、作家は物語を紡いでいると思います。
他の芸術よりも小説を堪能するには時間がかかります。その分、長い間を経て、人は徐々に癒されるのではないかと思い、日々小説を書いています。

初の商業出版です。よろしかったら。


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