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【過去記事再掲】走れ、走れ、走る。走り続けたその先に見えるモノ 〜ForrestGump

※この記事は2023年6月のものを再掲しています

ラン!フォレスト、ラン!
走って、フォレスト、逃げて!

同じシーンが蘇る。

脳内で何回も、何回もリピート再生している。
具合が悪い。

走る。
逃げる。

今ある此処から、走って、走って。
その先に、何があるかはわからない。

走る。
逃げる。

吐きそうになる。

どこかで見たシーン。
いつか見た映像。

走っているのは、フォレストなはずだった。
逃げているのも、フォレストなはずだった。

でも、
走っているのは、私だった。
逃げているのも、私だった。

この名シーンを人生で何回も、まさか自分が。
思いっきりリピート再現していたことに、先日気がついた。

今はまだ、走っている途中。

私の、「足枷」が外れる瞬間を、
今に貴方は見るだろう。

フォレストは私だった。
そして、言っているのは私の娘2人。

思い出すと苦しく、吐き気がする。
でも辛くても書いていこうかな、とふと思った。


ずっと黙っていて、笑って話せるようになったら。と思っていた。



しかしいつまでたっても笑ってなんて話せるようなものでもなく、
傷に膿がどんどん溜まっていくだけの6月。
もう私は腐り始めている。




私には心の準備ができていない。



笑って書けるようになるには早すぎる。と止める。
怖いよ、って躊躇し怯える人がいる。
私だ。

でも、書けと私に言う人がいる。
膿を出せ、表現しろ、いつまでそこでヘラヘラしてんの?


アンタ、このまんま病気になって死ぬよ?いいの?

全部、私が、私に、言っているんだ。





どうやら主人は、私が楽しく自由気ままに、のうのうと生きていることに普段から嫉妬していたのだと思う。

劣等感の塊と一緒に生活していたのかもしれない。

なんの苦労もせずに芸能界に足を突っ込んだり、適当に女王様をしたり、仕事も好きなことを仕事にして皆から可愛がられて、新しい友達を作ったり、友達と遊んだりすることに。
私が楽しく毎日暮らしていることに、全くわからない子育てに悪戦苦闘しながら充実感を得て邁進する姿に。問題を一つ一つクリアする姿に。

出産後。
警察官の主人との口喧嘩から、いつからか暴力を振るわれるようになった。




昔は優しく、面白かった主人。
大好きだった、尊敬していた。
映画のフィギュア集めが好きで、スケボーもサーフィンも上手で、自由人で。
私の自慢だった。




でも、警察官になってから、すごく変わってしまったように感じる。


その中で、私もまた、変わったのだとも思う。
母親になったから。

我々の口論の発端は育児にかかるお金の件、
生活費の件、私が友達と遊ぶ件、
子供を保育園に入れて私も社会復帰したいと言った事、
主人の趣味であるゴールドジムにあるみたいな本格的トレーニング用品(かなり大きい鉄の塊)、ボクシングジムをこの普通の部屋に作ろうとする事、、、
などなど、数え上げたらキリがない。

妊娠中に髪の毛を引っ張られ、首を絞められ投げ飛ばされたことが1番最初。
主人の親に相談したら、黙って3万円を握らされた。




それから喧嘩は一年に二回、三回、と回数は増えていった。



お腹が大きいまま、風呂上がりに俺の家だから出ていけと言われ裸で羽織れるものだけで外に出たこともある。
喧嘩になり逃げようとしたら玄関で出て行こうとする私を制しようとし、手首を捻られ屈服させられたこともある。(手首にひび)
当時、私の産後のホルモン変動による、更年期障害のようなもので
夫婦喧嘩が多くなったのでは、だから暴力を振るわれるのではないか、と考えて大きな大学病院の脳神経外科や精神科を受診したこともあった。
私の女性ホルモン値も平均であり更年期にはなっていなかった。



こぞって先生は「普通にそれってモラハラやパワハラで、貴方の感知するところではないのでは。。。」と言う診断結果だった。それでも私は主人を守るために主人はモラハラでもない、先生の意見は違います、私がおかしいのかも…と言ってその後の受診を拒否していた。




普通にモラハラでパワハラでDVだった。


生活費をくれない。
毎日2000円をその日の食費として渡されるのみ。
その日購入した食材のレシートを手渡す日が続いた。


手前の自由な時間が欲しいだけでしょ、と言われ保育園の費用は週2日限られた時間で働いた私の支払いで自由な時間を得た。
美容院代は4年に一回。(オリンピック)
文句を言えばお前が好き勝手(社会復帰)してるんだからこの生活、これに文句があるのか俺の家なんだから出て行け、と言われた。
なんだか社会主義国だった。
私が自由気ままにしているのが面白くないらしい。

自由が欲しい、でも限られた自由でその中でのびのびと自分らしくしていたらいいと思うようになった。限られた自由なんて、他の母親は当然なのだろうとも思っていた。

だけど、暴力は違った。
これ誰でも受けてんの?ってなってきていた。
どんな子供を持つ人も、自由がなくても、受けるのかな、って。
仕方ないのだろうか、と思っていたけど
どうやら違う。

その後は口喧嘩になると、度重なる暴力が増えていった。
私は、逃げることを覚えた。
その場からとにかく逃げればいいんだと経験で知った。

逃げなければ、殴られる。
逃げなければ、手首を捻られる。
逃げなければ、殺される。

この頃には主人と口論になれば、すぐに「逃げ出すセット」をクローゼットに作っていた。
私が主人の暴力から逃げる時に「ママ、行かないで!」と泣きながら玄関を立ち塞いで言っていた子供が
「ママ、明日には帰ってくるならいいから、逃げて」と言うようになり、
この数年では「ママ、逃げて!はやく!」と言うようになっていた。

ラン、フォレスト、ラン!!!!
ママ、逃げて、走って!!!!
毎回、言われるがまま、走った。
毎回、言われるがまま、逃げた。

泣きながら、スッピンで。
ノーブラで。
エプロンつけたまんま渋谷のドン、シゲさんのとこに行ったこともある。


夜の渋谷、新宿。付き合ってくれる友達に連絡した。
その夜一緒にいれる人を探した。
誰もいない会社に一晩泊まることもあった。

でも今回(最後)は、なぜか、もう、逃げれなかった。
私は帰ってきた「ばかり」だったから。
もう、これ以上に今日は子供と離れたくないと思っていたから。

逃げれなかった。逃げなかった。
娘達と三人、マンションの廊下に出て近所の人に助けを求めようとしたけど
力づくで引き戻され、投げ飛ばされた。

洗面所のドアが外れ主人の手の跡が痣になる手首。
足蹴にされて全身打撲。
顔面を前蹴りされ、鼻が折れた。
リビングも和室も私の血だらけになった。

見かねた長女が初めて持たせた携帯で、主人の会社、「警察」に通報した。
ずっとずっと、主人の体裁の為に私が耐えてきたことを、いとも簡単にしてくれた。
主人は警察官だから、正義の味方なんだからこんなのを公にしたらアカン、という私のずっと我慢してきた「定義」みたいなものを、あっさりとしてしまった。
実母にも連絡をしてくれ、実母は血だらけの私の動画を見てただことではないと感じた、
娘(私)が殺される、と感じたと今でも言う。
主人の顔は尋常ではなかった。と母が言った。

人に暴力を振るうのが当たり前になっている人間の顔が尋常であるわけがない。


フォレスト・ガンプを久しぶりにみた。

何故かと言うと、フォレストの夢を見たからだった。
ラン!フォレスト!ラン!
耳元で、かなり大きな声がして私は飛び起きた。

朝の4時。
ぐっすり眠る娘2人の間で、1人、ガバッと起き上がっただけだった。
夢の中で、誰かが言っていたんだった。
何故だかその時に、あー、今日は娘たちと観たいな。と思った。


よい映画だし、もう、見れるのではないかな。って。

鑑賞は夕食後だった。

ちょっと観たい映画があるんだよね、すごく好きな映画なんだ、って。
娘達には、私の好きな映画ばかりを見せている。
メリーに首ったけ、悪いことしましょ、ネバーエンディングストーリー、ロードオブザリング、、、
当たり障りのない、でもなんとなく「わかる」だろうな、くらいの物しか見せていなかったから結構私の中ではフォレスト大丈夫かな。。と言う思いもあった。
驚いたことに、2人はものすごくしっかり没頭してくれた。
ちょっとした説明を私が所々入れたり、娘達からの質問もあったりしたけれど
我々三人は久しぶりに映画をしっかり観れたような気がする。


フォレストが走っている時、私も娘も、何も言わなかった。
何か言うかと思った。
自分自身が。
娘たちも。
でも、その時、私たちは静かにずっと観続けた。

走るフォレストを無言で見守っていた。
スローで、フォレストの足枷が外れていく、あの印象的なシーン。

あの場面。
あの画角。
あの演出。

三人黙って、お互いの手を握りしめながら、静かだった。
一人一人、思うところがあったのかもしれない。
でも、「そんなこと」を思わせる暇もなく私たちは映画に没頭した。

どうだった?どんなふうに感じた?
と、映画を観終わった後に私はいつも子供達に聞かない。
だめなヤツなんだとも思うけれど、
言葉にするのはすごく大切なことだと思うけれども、
自分以外の感想なんて、親の勝手な、余計な不安要素にしかならない気がしているから。


すごくすごく素晴らしい映画だった。
淡々とした、1人の人の人生。
なのにこんなにも素晴らしいのって、どうしたんだろう。

よい映画なのがわかるのに、何故よいのかを、モンヤリとしか私はわからない。
全部がよくて、なんかもう、うわぁ、、、みたいになる。
いつもよくわからない映画なんだけど。
私も娘達も何か、学んだんだ、と思う。
(私に関してはもう五回以上は観ているのにまたまた学び直す)

ただ一つ言えるのは私達の生きているこの人生とは、映画や小説に勝る、
「最高のエンターテイメント」なのだと言うこと。

そして、創り出せ、創造しろ。って。
人生は「自分で創造(クリエイト)」するまでだ、って。
この映画は、それを教えてくれる。

神様から与えられたこの命を生かすも殺すも自分次第、なんだろう。

来た波、やってくる波、乗ってみなさい。
無理なら逃せばいいし、乗れたら乗ればいい。
その一本は、自分次第なんだ。
サーフィンが例え易い。
そう言うのをこの映画はなんとなく教えてくれてる気がする。

人間は欲深く、浅はかだ。
名声や地位、自分の在り方、自尊心。
色んなものが取り巻いて煩雑ね、まっすぐ沖まで泳げない。

でも瞬間、自分の波が来たら、乗れる。そんな自分で在りたい。

純粋で素直で、美しくあることがどれだけ難しいことか。

さて、話は変わるがこの映画は本当に良くできている。と思う。
本なんてダラダラ書いてていいんだよ、って。
漫画もダラダラしてていいんだよ、って。
ただ、「映画」となったら、違うんだよ。



映画になりたきゃ、2時間以内で用意しな!(ドーラの顔で)
なんですよねぇ。。。


ただでさえ人の人生なんて、結構伝記漫画とかでも読むの面倒くさいところあるのに。(先日娘達に徳川家康の伝記漫画読み聞かせしてましたけど、大坂夏の陣とかもう天下統一に向けてガンガン飛ばして読んだもん♡)←流石の面倒臭がり屋

端的に、明確に。伝えたいことだけ。
よく出来たプレゼンみたいな、賢い人たちの会議みたいな、
そんな映画。

賢い人たちはディティールを伝えるのにこんなにも頭が良くできるのか、とウンコ長文の私は思ったりする。

小気味よいテンポで進む、人生。
何がああだ、とかこれがこうだからどうだ、とかではなく
流され揺蕩い、彷徨い進む。
でも、それが生きとし生けるものの「人生」であり「輪廻」であり「宿命」だ、と言うこと。それを、楽しめたもの勝ちなんだよという神様からの意思を感じる不思議な映画。

あたし、いつも思うことがあって。
人1人の人生なんて、
神様が目を瞑って、瞬きのその瞬間、なんだと思ったりもする。
パチっ。

神様が瞬きする一瞬。
なんて美しいのだろう。

その一瞬が、私達の人生なんだ。

どんな一瞬にするのかは、私次第なんだ。
神様はなぁんにも考えてなくて。ただ、瞬きしてるだけなのだけど。



これからの人生への勇気をフォレストから貰う。


ラン!フォレスト!ラン!
ラン!しーもん!ラン!

娘達に言われながら、応援されながら、
私は走って、走って、走り続けるんだ。


今までも、これからも。




この足枷が取れて、外れる、その瞬間。
貴方の瞬き一瞬、私に頂戴。



いつか、
私の「足枷」が外れる瞬間を。
今に貴方は、きっと、見るでしょう。

見ていて欲しい。



がんばりまーす⭐︎←

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