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よちよちある記#404『月島慕情と親父さんの記憶と』

世間さまは今日からG.W.なのね

月島という単語に惹かれて
なんとなく手にした浅田次郎の本

ひとつの世界観に
どっぷりと浸っていたいので
普段は短編集をあまり読まないけれど
なんとな〜く氣になって
手にした本

巻末にはなんと
作者自身による自作解説
なんてものもついていて
良い作品だったや

 
親父さんはいつもいつも
本を読んでる人だったな

三人兄弟の末っ子で
上のお兄さん(おじさん)たちは
大学まで進んだけれど
本人は高卒で働きに出て
親と暮らしていたらしい

小さい頃の話は
本当に口にしない人で…

小学校の社会の宿題だかで
親の小さい頃の歴史を調べよう
みたいな課題が出されたときに

たった一度話してくれた
衝撃的な単語過ぎて
とても強く記憶に残ってる

父親(おじいさん)は
自分が4歳のときに亡くなっていて
戦後の混乱期に親戚の間を
『たらい回しにされた 』と

 
自分も親父さんと同じ歳に結婚し
同じように子どもが生まれ
これから好々爺として
孫たちを可愛がってもらおう
ってときに突然旅立っちまって
まだまだこっちに
“お役目”がありそうなもんだけど…
こちらを無事に卒業して
そちらに進級したのだろう
って納得させている

もっと子育ての悩みやら
子育ての喜びの共有だったり
たくさんしたかったのになぁ…
って思いがずっと消えず
今もまだ
ときどきそんな思いが
心に浮かぶ

それが
この本に収録された
『シューシャインボーイ』
という作品を読んで

あぁそうだったのか…
と納得のいく言葉に出会う

ーーー以下引用ーーー

古煉瓦を積み上げた壁も、歪んだ石畳も滑(ぬめ)っていた。饐えた臭いに耐えかねて鼻をおさえると、祖母に手をはたかれた。叱責の理由は、その陰鬱なガード下に戦争の犠牲者たちーーー傷痍軍人や靴磨きやいかさまの物売りや、あるいはそうした生計のかたちすら思いつかぬ物乞いが、みっしりと居並んでいるからであった。どうにかなった者が、いまだどうにもならぬ者を蔑んではならないと、祖母は教えたのだろう。大ガードの下を往還する人々は、まるで通行料でも支払うように小銭を投げ、要りもせぬ物を買い、靴を磨いた。

ーーーーーー

「おとうさんもおかあさんも、苦労話はなさらなかったわよねえ」
妻の知る父母ばかりではなく、祖父母も無口な人だった。それは性格や家風ではあるまい。舐めた労苦を子供に語らぬのは、親の見識であろうと思う。だから悪い時代を生き抜いた親は、誰もが無口なのだ。
夜の庭は頑なな親たちに似て静まり返っていた。

ーーー引用終わりーーー

自分の父親の記憶すら定かでなく
顔だって覚えていたのかどうか…?
苦労した記憶しかなかったんだろうな
できることならば思い出したくない
そんな過去だったのかと思う

「親の見識」であり「誰もが無口」

…つくづく今は平和な時代を生きているな

 
小1になったときに
今日から仕事を与えると言われて
家の前の掃き掃除をすることになり

終わって親父さんに報告し確認され
そのときに言われた言葉

ムコウサンゲン リョウドナリ

当時は呪文のような言葉の響きが面白く
後にその言葉を文字として見て
あぁそういう意味だったのかぁ〜!
って知った言葉

「これじゃ掃除できてないぞ。
自分の家の前だけじゃダメだ。
“向こう三軒両隣”
それが自分の家だと思って掃除しろ。」

 
歳を重ねて今の自分が
親父さんの過去を想像し思うこと

たらい回しにされて
両親にまともに育てられもせず
そんな戦後の時代の中で
よくもまぁこんな言葉を
知ってたもんだな…って

学のないコンプレックスを抱え
本を読み学び続けていたのだろう
国立大学への合格を
ことのほか喜んでくれた姿にも
妙に納得がいく

もっと親孝行したかったなぁ

弟や妹たちよりも
長く一緒に過ごした時間がある
本好きなのは間違いなく
いつも本を読んでる姿を見てた影響
自分にとって唯一の父親像は
あの親父さんの姿でしかなく
ちゃんとたくさんの背中を
見せてもらってきたんだよなぁ

 
ありがとう

 
世間さまはG.W.の初日

命日の今日
現場にいく前に
たっぷりと語ってこよう
ありがとうを伝えてこよう

今日もいい1日✨

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