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なるほど、わからん!で終わらせないために『ACE アセクシャルから見たセックスと社会のこと』


異性愛、恋愛至上主義に疲れ切った人必読かも?『ACE アセクシャルから見たセックスと社会のこと』

 世の中は恋愛かセックスにしか興味ないんかいって思ったことありませんか?恋愛映画でもないアクションやスリラー、ホラー、コメディ、到るところに恋愛の要素があってうんざりしたことは?
 周りから独り身の期間長すぎじゃない?ってなんとなくディスられたり、付き合っていればいたで結婚しないのか、パートナーシップ結ばないのかと、何かと「次の段階」へ進めよと余計なお世話焼かれたり。
 世の中、独り身だろうがカップルだろうが面倒事が多すぎる!そう思ったことが有るならば、『ACE アセクシャルから見たセックスと社会のこと』は一種の解毒剤とはいかないまでも、ほっと一息つける清涼剤にはなるかもしれない。
 環境からくるプレッシャーへの疲れ、自分で自分にうんざりする疲れに対して新たな視点をくれる可能性ありありだ。
 

 著者のアンジェラ・チェンはアセクシャルの当事者として、本書をアセクシャルの概念、社会の異性愛規範について、これからの展望を語っている。何より新鮮なのは、アセクシャルの視点から見た人生だと思う。騙されたと思って手に取って欲しい。
 ともすれば何かと新しい言葉が頻出しがちな、セクシャリティの本にも関わらず極力専門用語を避けて、自身の経験を噛み砕いて書いているので取っつきやすいのも素晴らしい。
 
 ただし、アセクシャル以外にもある程度フェミニズムやジェンダーの知識があるのを前提に書かれた本なので、本書を読む前に一冊か二冊はLGBTQ+やジェンダーの入門書的な本に目に通しておいて損はないかも知れない。

そもそもアセクシャル/ Asexualってなに?

 この本のタイトルにもなっているアセクシャルAsexualとは、簡単に言えば無性愛者のことを指す。辞書的言えば他者に対して、性的な欲求を覚えず、恋愛に対して欲求がない人のこと。代表的なシンボルは黒、グレー、白、紫のフラッグ。

アセクシャルを示すシンボル

 なーんだ、要するに性欲がない人ってことでしょ?と思うのはまだ早い。どんなジェンダーやセクシャリティにも当てはまるように、このアセクシャルというセクシャリティも幅広い領域が広がっているのだ。
 セックスをしてもアセクシャルと自認する人はいるし、頻度は低くとも性欲を感じてその欲求を発散したい人もいる。そんな人でもアセクシャルなの?って思うかもしれない、その答えはイエスである。
 アセクシャルという概念は他のセクシャリティと同様に、スペクトラムであって、ピンポイントに示せる静的なアイデンティティではない。これがこの社会でアセクシャルの立場を不可視にし、捉えにくい存在にしているのでる。

どこからがアセクシャル?_セクシャリティ、この難しきもの

 この本には筆者を始めとした、複数のアセクシャルの体験が登場する。読んでみてわかるのだが、アセクシャルと言っても実に多様で捉えにくい。
 例えば生理的な欲求としての性欲をたまに感じる人もいれば、全く感じないけども恋人との絆を深めるためにならセックスをする人もいる。セックスをしなくても、ハグとキスだけで十分だからそれでOKなカップルもいる。
 自分はアセクシャルだからセックスに興味はないけども、恋人はセックスを行為としてするのが好きだから、自分以外とセックスをするオープンリレーションシップという形態のカップルもいる。
 なんだか混乱しませんか?そう、混乱するものなのだ。世の中の常識に反し、誰もがセックスしたいわけでもないし、セックスに興味がないからと言って不幸でもない事実に、混乱するのが当たり前だと思う。今までの経験に反するから。
 セックスしてても不幸なカップルがいるのを考えれば当然なんだけど、世の中はそのことを無視する。それはなぜか?セックスが生殖という行為であるために、そこにあらゆるジェンダーの問題、つまり権力構造が結びついているからだ。
 
 他の動物と異なり、人間はセックスを生殖という生物学的由来な行為として行う一方で、快楽を求めるため、恋人と親密度を深めるコミュニケーションとしても行える。加えて春を売る、買うというように社会での地位を示すための行為として利用することもある。
 つまりセックスそれ自体がスペクトラムな行為であり、そこに向けての欲求も当然のようにスペクトラム化しているのだ。ただし社会の仕組を継続させるための圧力として、世の中には異性愛規範と結婚が作用する。
 これによって、アセクシャルは周縁化され不可視な存在となっていく。例えば、ヘテロのシス男性なのにセックスしたがらないのはおかしいと言ったように。(少子高齢化問題で、若者のセックス離れを問題視するヘッドライン見て鼻で笑ったこと、ございませんか?)
 問題はアセクシャルではなく、異性愛規範を強制して排除しようとする意識なのである。ということを、アセクシャルの視点から語る本書は本当に目から鱗を落としてくれる。
 セックスを巡るフェミニズムの歴史の一部を紐解いたり、アセクシャルとジェンダーを巡る中国系移民としての著者の分析や、自身のアイデンティティを巡って延々と悩む下りも何もかもが見事としか言いようがない。
 特に恋愛感情を解体して再構築する7章なんて白眉だと思う恋愛は性欲を伴うものから、友情であっても恋愛に等しい情熱を伴うものもある、それは何か?と追求していくくだりなんて、同性の親友に対しての思いを持て余したことのある我が身としてはもうずーっとドキドキしっぱなし。
 恋じゃないけど、同性の友だちに惚れ込んで尽くしたくなったり、性的な関係を結びたいなんて思わないけども、ずっと感情的に強く親しく寄り添っていたい気持ち。身に覚えがありすぎる。
 あの気持ちって一体なんだったのって?なったなら、ぜひこの本を読んでみて欲しい。

 恋愛っていう言葉はもっと意味を拡張すべきなのかもしれないと、本気で考えたくなるから。(クィアプラトニック・パートナーという言葉も出てくるしね)

最後に個人の感想、自分の体験から

 アセクシャルの全てがこれ一冊でわかるわけではないけども、このセクシャリティの持つ広大な世界を垣間見れるのは素晴らしい。私自身も、レズビアンというセクシャリティの認識はあれど昔から性欲が周りに比べて少ないらしく、恋人が欲しいという欲求もほとんどない。
 最近、シス女性の友だちにセクシャリティを成り行きでカムアウトしたところ「恋人いなくても、(男女)どっちかに興味あるならいいよねー」と無邪気に言われて戸惑った。
 恋人がいなくとも、セックスしなくとも親しい友人が何人かいれば問題ない自分は駄目なのか?とお馴染みのモヤモヤが胸に巣食うのである。でもこの本を読み、アセクシャルというものを知ると、それでOKなのだ分かるし、自分だけでもないと知ってほっとする。
 著者のアンジェラ・チェンが語るようにアセクシャルというセクシャリティは学校教育でカジュアルに教えられる知識に含まれるべきだと切に思う。
 レズビアンコミュニティやイベントに参加したときに、シングルだって言う気まずさや、じゃあ恋人見つけなきゃって!圧が嫌だった理由もこれで納得がいった。要するに私はレズビアンというアイデンティティとアセクシャルというアイデンティティが重なり合っていたということだ。
 一つ、自分に関しての謎が解けて気分が軽やかになった読書だった。


 




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