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本心に従う勇気

私は高校入学くらいからずっと精神的に落ち込む日々を送ってた。元々自信は無くて他人と比較してしまったり、いわゆる"完璧主義"の部類の人間だったけど、更に拍車がかかったのが高校受験だったような気がする。


その考え方は結局最近まで抜け切れなくて、途中燃え尽き症候群になったり、ストレス胃炎が悪化して逆流性食道炎なったり、軽いうつ病を経由して今に至る。

今は全盛期に比べて遥かに楽に生きられるようになっていて、でもいつ前の私に戻ってしまうか分からないから、今の私が大切にしたいと思う考え方を残しておく。



私が病んできた理由は一言で言うと"他人との比較"でしか無かったことに最近気づいた。

この世の中に自分のことを嫌いな人は0です。
自分のことを嫌いな人というのは、心の中を注意深く分解すると、
私は私のプライドに見合うものではない、なんですよ。

私はこれくらいものが出来ないといけないと思っている規準に達していないだけなんですね。

岡田斗司夫のYouTubeコメントより

私は心底自分が嫌いだった。でもその理由って、世間的に言われる「これがある人、出来る人は凄い!」っていうのを持ち合わせていない自分を許せなかったんだなと思う。
例えば自分の容姿と恋愛は今でも自己嫌悪の材料になるけれど、やっぱりそれも他人との比較から生まれる、高いプライドに影響されているなと思う。
「好きな人と上手くいったら成功」
「彼氏がいる人は成功者」
「二重の子は可愛くて素晴らしい」
「スタイルがいい方がいいに決まってる」
そういうやつ。

欠点の視点に縛られ過ぎていたんだと思う。世間的に見て劣っている(ように見える)部分。

けど例えば私はお金持ちを見てもこの人凄いなーとしか思わないけど、同じものを見て「なんであんなにあの人は稼いでるのに、私は…」ってなる人もいると思う。

私にとってお金持ちじゃないことは欠点じゃない。でも誰かにとってお金持ちじゃないことは欠点な人もいる。

私にとって二重じゃないこと、顔が可愛くないこと、彼氏がいないこと、好きな人と上手くいかないことは欠点だけど、欠点じゃない人もいる。

他のことも全部言えると思う。

じゃあ、人に欠点って存在するのかなって思うようになったんだよね。
自分がただ持っている個性、その人らしさ。それでいいんじゃないかなって。
個性を誰かと比較しても意味があるのかなって。
誰かと比較して自分を否定なんてしなくていいんじゃないかなって。


世間体に縛られると、当たり障り無く生きられる。誰かとぶつかることもないし、目立つことも、指を指されることもない。無難に生きられる。

だけど本当の自分を見失う。生きることに苦しさを感じる。

かつて痩せ信仰に陥っていた私は、「痩せてる女は魅力的で、デブな女はありえない、痩せれば人生変わる」と本気で思っていた。
そのダイエットの結果、痩せたけど軽い拒食症ぽさと暴食に見舞われてリバウンド。

けれど最近になって、体が適度に引き締まってる女の人かっこいい!私も自分の可能性引き出してみたい!って思うようになって、ダイエット(メインは筋トレ)をはじめてみた。


世間体なんて気にしてない、ただ私が私の体の変化を見たい、その本心に従っているだけ。
だから、今のダイエットは楽しい。

だけど、本心に従うのは時に勇気が必要なこともある。
私がぶつかった壁は、資格勉強と恋愛だった。

世間的には就活に必要な資格勉強が必要だと思う。(TOEICとか簿記とか)でも私そういうの一切興味無い!多分勉強したらストレス溜まる。

その代わり、ずーっと心理カウンセラーの資格に興味があった。でも世間的には必要とされてない。だから最初は諦めてたんだけど、でもやっぱり私は欲しかったから申し込みをして、今勉強している。1ヶ月くらい葛藤した。

私の彼氏持ち=成功者的なマインドのおかげで、好きな人が出来たら自分から積極的にアプローチしないといけない、ご飯に誘わないといけない、etc…その考え方に縛られてた。
したければいいんだよ、でも私そんなことしたくなかった。好きだけど、今はそういう気分じゃないって思ってる。


世間体を気にしすぎて他人と比較癖があると、どうしてもそれにそぐわない本心に従うことに抵抗がある。勇気が必要だし。めんどくさい。
でも、世間体気にしても生き苦しさしか残らなくて成功もしなかった。

だから私は、勇気を出して本心に従い続けることを私と約束した。
そうしたら、生きるのが楽になった。自分が思ってるより、本心に従って生きた方が上手くいくかもって思った。



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