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私なりの自己肯定感

最近何となく、人と接する機会は沢山あるのにいつも距離があるように感じていた。1枚壁があるような、会話してるはずなのに第三者視点、高みの見物感があるというか。

心の繋がりが感じられなかった。
人との会話を心から楽しめない自分がいた。
傍から見たらただスカしてる奴だったと思う。

一緒にいたい気持ちはあった。一緒にいて楽しかったし楽だったし、面白かった。いたい気持ちはあるけれど、なんとなく作業というか義務感みたいなものも少しあったような。

高校までは、友達と心が動くコミュニケーションが取れていた。カフェで永遠に「え、それな〜〜めっちゃ分かる!」みたいな。



いつしか、落ち込むこと悩むこと辛いと思うことを虐げて(自分らしく生きてたら落ち込みません!いつでもハッピーです!みたいなSNSを見てから)
私って自分らしく生きてないんだな、って変な勘違いをしちゃって。落ち込むこと悩むことを自分に禁じ始めてしまったなって。

自分に禁じてるだけならまだよかった。
結果、私は落ち込んでる人間、苦しんでる人間、辛い辛いとクヨクヨしてる人間に対して「自分のせいじゃん」と厳しくなってしまった。

人間って自分に強いてることを他人に対しても強いようとする生き物なんだと実感したのもこの時だった。


そもそも私は、友達の辛い話を聞いて本人以上に涙を流すような女の子だった。
もちろん心に受けるダメージも大きかったけれど、心を動かす体験は今よりも沢山あったなと思う。

そんな女の子が、こんなにも冷酷になれる。

受け取る情報、自分に採用する情報、何を受け入れて何から自分を護るのか、それは本当に大切なことだと思う。

その時の私、今の私に伝えたいこと。
あなたはあなたでいていいんだよということ。

自分軸、他人軸、自己肯定感、そんな言葉に騙されて誰かの正解を自分に当てはめなくていいんだよ。誰かの正解と違うからって、自分の正解を歪めなくていいんだよ。
私の正解を誰かに「正解です」と言ってもらおうと頑張らなくてもいいんだよ。きっとそれは怖いことだけど、私がこれがいいと思えるのなら、それでいいんだよ。

自分が心地よいと思うこと、それが自分軸であり
それを尊重出来ることが、自己肯定感だと私は思う



昨日、友達とのお喋りで久しぶりに心で繋がる感覚を味わったよ。凄く心が暖かった。涙が出そうだった。
素直に「分かる、それ辛いよね」って言えた時、私の中の一部が解けたように感じた。

この感覚、忘れずに生きてきたい。

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