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やっぱりいたか

【高速道】


 その日、私は、関越自動車道の東京方面の路上にいた。
愛車はBMWといいたいところだが、中古の国産車。一番左側の走行車線をゆっくりと走行していた・・・というよりもスピードが出ないのだ。
その横の追越斜線を軽自動車が、私の車をあざ笑うかのように過ぎ去る。その車はあっという間に私の視界から消えた。
その車が速いのか、私の車が遅すぎるのかは判断しかねるが、次から次へと、トラックやら、バスが追い越していく様を見ると、私の愛車が気の毒になる。

 ミラーを覗くと後方から大きなトラックが見る見る間に、私の車との車間距離を縮めて迫ってくる。私は逃げるようにパーキングエリアに車を滑り込ませた。私はホッとして車のエンジンを切った。

 ここは何処かしらと思い、案内をみると「三芳パーキングエリア」だ。
私は車から降り、トイレに向かった。
トイレに行きたくなったという訳でもないのだが、条件反射みたいなもので、足が勝手に動いてゆくのだ。
辺りを見回して見ると、大型の観光バスが十台程入ってきて、そこから続々と団体客と思しき集団が一斉にトイレに向かって小走りしている。
あっと言う間にトイレの外に長蛇の列が出来た。

 私はトイレに行った後、お決まりのように、みやげ物を見て回る。
この三芳パーキングエリアは東京都に近いという地理的事情が関係してか、みやげ物には東京名物という表示がやたらと目に付く。
そして、一部のコーナーに地元の川越土産か狭山茶がこじんまりと置いてある。そして更に奥に進むとフードコート、レストランもある。
まだ、時間が早いためか、レストランはまだ開店しておらず、電気も消えている。

 私は併設されているコンビニで、お昼に食べるオニギリを買うことにした。外に出て、改めて見回すと、トイレも二箇所に設置され、ガソリンスタンドまである。通常ガソリンスタンドはパーキングエリアにはない。サービスエリアにあるものだ。
ここ三芳パーキングエリアは以前に比べたら、格段と設備が整えられている。サービスエリアと名称を変えた方が良いのではと思わせる程だ。
私は、コーヒーを飲み、一服した後、目的地に向かって車のアクセルを踏み始めた。

 そうそう、私が何処に向かっているかを、まだ説明していなかった。今日は横浜の大黒埠頭にある海釣り施設に釣りに行くのだ。
海のない県に生まれ育った私にとっては(危ない、危ない、関越自動車道、海のない県というと、あれとあれとあれしかないではないか、思わず口を滑らせてしまった)海は憧れの場所である。
今日は釣るぞ!とばかりに朝4時に起き、意気込んで家を出てきたという訳である。

【一般道に入る】

 さて、車は十五分程で関越自動車道を降り、谷原の交差点を右折し、環八へと入った。
カーナビで検索すると、最も合理的な経路は首都高速湾岸線を通るというルートが表示される。私はカーナビの電源を入れていたため、カーナビの女性は首都高湾岸線へと誘導したいらしく、しきりに何々の交差点を右折、200メートルでまた右折と元に戻そうとする。
私はその忠告を無視し普通道路の環八をひた走る。そのことがカーナビの機嫌を損ねたのか、音声が急に高くなった。
私は瞬間的に身構えた。
このまま放っておくと、やがてそのカーナビ女性は怒鳴り散らしてくるに違いない。車を止めてしまうかもしれない。
そこで、私は電源を切り、ラジオに切り替えた。ラジオからは優しい女性の笑い声が聞こえてきた。カーナビの女性が悪いわけではないのだが、私はホッとして車のシートに深く腰を落ちつかせた。

 車はやがて瀬田の交差点を通過し、世田谷区から大田区へ入った。
大田区?確か大田区には蒲田があったはずだ。蒲田行進曲で有名な蒲田だ。蒲田に入ると近代的な大きなビルが迫ってきた。
 
 違う・・・違う。蒲田は「やつ」に破壊されたはずだ。もう復興したのであろうか?
「やつ」とは何だ!と諸君は思うかもしれないが、「やつ」は「やつ」だ。分かる人が分かれば良い。そういうものだ。(と勝手に私は思っている)
私は緊張した。
だが、道行く人々を見ていても、何も変わった様子はない。穏やかな日常が営まれていた。
私はホッとしながらも、何か納得いかないような、心の中にもやもやを抱えたまま、蒲田を通過したところで右折し、車は国道15号線に入った。
しばらく走ると、車は多摩川にかかる橋を渡った。
右手には武蔵小杉の高層ビル群が、やはり何事もなかったようにそびえ立っているのが見える。

【釣り場にて】


 やがて車は横浜市鶴見区に入り、大黒町入口の交差点を左折し、30分程で目的地の大黒埠頭釣り施設に到着した。
大黒埠頭は私のお気に入りの場所である。
釣り場に立って見渡すと、正面にベイブリッジ、横浜未来が見え、反対側に回ると東京アクアラインの風の塔、海ほたるが臨める。

 私は釣り餌を買い揃えて釣り桟橋に行った。既に100人近い人々が釣竿を海に向かって差し出して釣りに興じていた。
私は空いている場所を探して準備を始めた。
ここは常連が多いらしく、皆、お気に入りの場所を持っている。釣る対象魚によっても違うのであろう。                                      

 さあ、今日も一日始まるぞ!とばかりに釣り人同様、魚たちも釣り糸が垂らされるのを待っている。釣り人にとっては、魚に釣針を悟られずに釣りたいのであろうが、魚は魚で釣針を見切り、釣り人に気付かれないように、釣針に付いている餌だけを取ろうとする、そこに今日の食事がかかっている。幸い取れれば、今日一日が安泰に過ごせるであろうが、もし取れなければ、他の場所に行って、大型の魚に襲われるかもしれないという危険を伴った捕食をしなければならない。
だから、どの魚も必死である。目も血走っているに違いない。たまに目が赤い魚を釣り上げることがあるが、それが原因か?

 釣り人と魚たちの攻防戦が繰り広げられている中で、私のような下手な釣り人は、魚世界に大歓迎で迎えられるに違いない。私が釣り糸を上げると、針の周りだけ餌を残し、綺麗に食べられている。魚の朝食係に成り下がった気分だ。魚保護割引でもしてもらいたいほどだ。

 また、魚釣りで忘れてはならないのは、釣り餌になる青いそめ等である。食物連鎖は自然の摂理だが、私が青いそめを針に付けようとすると私の指に噛み付く。必死に抵抗する。それでも許せとばかりに釣り針に付け海に投入する。が、何度投入しても生き延びた青いそめには敬意を払い、逃がすことにしている。

 ところが、生き残った青いそめを金網から下に落とすと、どこにいたのであろうか、小さな蟹が四方八方からザーという具合に集まってきて、青いそめに襲い掛かった。
私は思わず、ワ~ッと声を上げた。その光景はよくホラー映画で見かける、エイリアンが人間に襲い掛かる様に似ている。
これが自然なのか、私は自然の厳しさを目の当たりにした。

 私は次の青いそめを左指でつまんで、右指に持った針に通そうとして顔の前に上げた。裁縫ではないのだが、針に刺そうとしても焦点が合わない。そこで片目を瞑ったところ、距離感がなくなり、正面遠方に見える「風の塔」に青いそめが覆いかぶさった様になった。しっぽ・・尻尾か・・そう、しっぽ・・・。そうかこれであったか、私は確信した。(何のことか分からない人は敢えて分かろうとする必要はない・・・と私は思っている)

【アクアラインを行く】

「やつ」は本当にいるのだろうか?
私の住む田舎から大黒ふ頭に来る道すがら、蒲田を通過したとき、街が破壊されているものと思って緊張していたが、実際には破壊どころか、大きく発展した街並みを見た。武蔵小杉も同様であった。それに青いそめのこともある。「やつ」は実在の存在ではなく、架空の存在と私は考え始めていた。

 昼過ぎまで大黒埠頭にいて釣りを楽しみ、釣り場を後にした。
その後、遠くに見えていた海蛍に行きたい衝動に駆られ、真っすぐに家に帰る予定を変更して、海蛍を目指して車を走らせた。
川崎大師近くのインターからアクアラインに入った。
アクアラインは凄い。
海底の下にトンネルを掘り道路を通すなど、江戸時代の人々には想像だに出来なかったに違いない。
このトンネルも「やつ」に壊されたはずだ。
が、何事もなかったかのように、多くの車が走っている。私も快適に車を走らせ10分程で海蛍に到着した。
海蛍には多くの店が出店している。私は一軒の店に入り、コーヒータイムをとることにした。
一服した後、施設内のエスカレーターを上り、私は風の塔が見渡せる展望デッキに立った。そして、下を覗いた途端、私の背筋が凍りついた。
海に向かって二つの大きな足跡が残っているではないか。

やっぱり、「やつ」は、い・た・の・か!

私が書く文章は、自分の体験談だったり、完全な創作だったり、また、文章体も記事内容によって変わります。文法メチャメチャですので、読みづらいこともあると思いますが、お許し下さい。暇つぶし程度にお読み下さい。今後とも、よろしくお願いいたします。