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戦後20年という時間

noteを始めて、過去を思い出すようになりました。50年前の幼少期のことを、意外とはっきり覚えている自分にびっくりします。特に印象深かったことは、忘れるはずもなく、次々記憶が蘇ってきます。そのように50年とは、長いようでも、自分が体験した記憶の中に、しっかり残っています。ましてや20年30年前はついこの間のように、それほどひどく昔という感じもなく思い出します。自分の中ではまだ過去になりきっていないくらい、少し前のことという感じです。

でも、子ども時代、10代の私にとって10年前はすごく昔でした。そんな私にとって20年30年前なんて大昔、そう感じていました。親の昔話を“自分事”として聞くには、まだまだ子どもでした。

終戦が昭和20年。昭和40年生まれの私は、戦後20年に生まれたことになります。戦後20年というのは、今考えるとたった20年という感じです。ですが当時、学校の平和授業は、歴史を学ぶような感覚でした。それくらい、自分の生活と戦争当時の生活が違い過ぎて、たった20年前の事とは思えませんでした。

戦争の残虐さも、貧しさも、自分の生活とはかけ離れ過ぎていました。20年でそれほど日本は変化していたのです。確か日本の政府も戦後10年くらいで「日本はもはや戦後ではない」と言ったようですから、本当に頑張って復興していったのだろうと思います。東京と地方では、また違っていたかもしれませんが、空襲で焼け野原になったはずの東京は、ビルが立ち並び、東京タワーがあって、工場がいっぱいあって、車もたくさん走っていて、みんなおしゃれで。父が話している東京の姿と今自分が目にしているものが一致しなかったのです。

でも、私が生まれた頃、父や母にとって戦争はまだ過去ではなかったんじゃないかな、と最近思うようになりました。私が子どもだった頃、両親にとって戦争はたった20年前の出来事だったのです。いくら街は復興しても、人の気持ちはそんなに早く次へ進めるものでしょうか。

私にとって、アメリカ同時多発テロが、そんなに古くないように。あのショッキングな映像を、リアルタイムで見守って、恐ろしかった感じを、今も鮮明に覚えているように。記憶の中の20年って、そのくらいの長さなんだと思います。

父が戦争の話をしてくれた時、もっと真剣に父の思いに近づけていたら。過去のどこか遠くの話のようにではなく、父自身の苦い体験としてとらえることができていたら。あの頃の私がもっと成熟していて、きちんと聞くことができていたらと残念に思うのです。

戦争体験者が減る中、次は、戦争体験者から直接話を聞いた人たちの証言を残していこう、と言われています。

91歳の父に、76年前の記憶をもう一度丁寧に聞かせて欲しいと思いました。

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