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化学物質過敏症の発症-闘病の始まり


化学物質過敏症の発症前

私が化学物質過敏症を発症したのは10年程前。

あの頃、化学物質過敏症は病名として登録されたばかりで、化学物質過敏症の社会的認知も、SNSで活動されている方も、今よりずっと少なくて、自分が化学物質過敏症になるまで、病名も知りませんでした。

また、物心ついた頃から、身体が弱かったこともあって、少しの不調では、「病気」だと気がつきませんでした。

その頃の話は、改めて書こうと思いますが、学校の欠席日数は3桁でした。学校側と両親とに登校を促されましたが、身体がついてきませんでした。病院を回ることになりましたが、診断がつかず、「健康」ということで、とかく家庭内で叱責に遭いました。

そのまま大学もほぼほぼ出席せずに卒業させていただけて、病気というよりは、さぼっている人として、認知されていました。

ここまでの不調で、自身も含めて、誰も病気と思わないという生活でした。


化学物質過敏症の発症

化学物質過敏症の発症時を振り返れば、咳き込むことが増えたり、食べられないものが増えたりと、予兆があったと思います。

そのうち、起き上がれなくなり、寝込むようになりました。

それでも、物心ついてからずっと、寝込むことが日常茶飯事の身体だったので、気に留めていませんでした。

呼吸困難を起こして、救急車で運ばれたこともありましたが、そこで病気の診断がつくこともありませんでした。救急車内で酸素値が減っていて、意識も朦朧としていたので、救急車もとても急いでいたことを覚えています。

振り返れば、化学物質過敏症の発作でした。

誰もが気がつかないまま、身体に無理を重ねて、ある日、水も食べ物も喉を通らなくなります。

水や食べ物を摂取すると、喉が締めつけられて、肺が痛み喘鳴を起こします。ティースプーン一杯の量も受け付けなくなって、ようやく、「病気」だということに気がつきます。

化学物質過敏症の症状のひとつである「食物不耐性」です。アレルギーとは違って、一見関連のない飲食物に呼吸困難などの化学物質過敏症の症状が生じます。そしてそれは、私たちが考えるような「化学物質」以外の多岐に渡って、耐性を失くすように、何もかもに反応する場合があります。

その頃から、日常生活の中で、特に化学薬品的な匂いに過敏になっていきました。


闘病の始まり

どの飲食物も極小量を摂取するだけで、喘鳴と咽喉の狭窄などが起きて、飲食ができなくなってしまって、ようやく、「病気」だと気がつきます。

病院に行って、お医者さんに診てもらわなければと思いました。

けれど、病院に電話をかけると、「水も飲めない」症状に、どの病院でも受診を断られます。100件くらいの病院に電話をかけました。

電話口で予約をしようとしても断られるのだと思って、お医者さんに直接会えばなんとかなると思って、予約なしで病院を訪れます。受付では、症状を大袈裟に言わないようにお話して、ようやくお医者さんにお会いできて、これで助かると思っていたら、私の症状を聞いた医師は「うちでは診られない」とヒステリックに病院から追い出しました。

後に知った化学物質過敏症の専門医の診察は、半年待ちでした。

今の私が命あってここにいるのは、こういう中で、手を伸ばしてくださった医師がいらしたからです。

体重が減って、歩くこともできなくなって、担架を使って移動しました。

そして、そこからが、この長い化学物質過敏症の闘病の始まりでもありました。

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