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【自己紹介】


本当なら一番最初にするべきものなんですが…

あらためまして自己紹介をさせて頂きたいと思います。

はじめまして

茨城県守谷市で美容師をしています、木村誠之といいます。
1983/2/24生まれ、魚座のA型です。
家族は父、母、姉、自分で、現在は妻がいます。
趣味はキャンプ、サイクリング
今現在2023/11月時点では、来年2024/7月に独立開業を目標に現在は指名のお客さまのみを担当させていただきながら、サロンワークの傍ら物件探ししながら、新たなコンテンツとして「髪育」というものを学んでいます。

学生時代

学生の頃はスラムダンクの影響でバスケをしたり、中学では友達の影響で当時ビジュアル系バンドが流行っていたこともあり、ギターをやってみたり(最初はベースを買ったけどあまりハマらなくてすぐギターに変えた)して優等生でもなく、問題児でもなく過ごしできました。(自分で言うのもなんですが、今思うと問題児に見せないことがうまかった、のかも…)

美容師になったきっかけは、高校3年の時に何故か漠然と大学には行きたくないという思いがあって、かといって何がしたい、というのもなくて…
その時に美容師をしていた姉が「やることないなら美容師やれば?」みたいな言ってきたことがキッカケで興味を持ち、それまで姉に髪を切ってもらっていたところを毎回色んな美容室に行ったりして、初めて自分の意志でまたこの人に切ってもらいたいと思えた店長さん(ミヤモトカツナリ氏。自分の人生で今のところ一番大きな影響を及ぼした人)を指名するようになり、今では全国展開する(当時はそんなに店舗展開していなかった)美容室に高卒で就職しました。

なんとなく始めた美容師

高卒で就職したので自分は18歳、同じ店舗に6人いた同期は全員専門卒の20歳(全員女性)、当時はドラマの影響やメディアの取り上げもあり美容師ブーム全盛期で、お客さまも土日平日関係なくガンガン来店し、休憩もお昼時間の30分のみ、実は体育会系の社会で先輩に理不尽に怒られたりの毎日で、今では考えられないような新卒時代でした。
でもまぁ、僕としては『姉にやれと言われて始めた美容師だし、まぁこんなもんか…』と思っていました。

これは今でも思っていることですが、
変に憧れがないほうが大きな挫折もなく続けられた、って感じでしょうか…

今では考えられないアシスタント時代


アシスタントの頃は、休みの日も朝だけ営業前に練習だけしに行く、みたいな生活をしていました。ある程度仕事を覚えてくると、新規オープンの店舗にヘルプに行ったりするんですが、印象深いのが19歳の夏に行った大阪なんばのオープンのヘルプです。
もともと夜行バスで行って、仕事して夜の新幹線で帰るという、弾丸旅行みたいな日程だったんですが、着いて仕事して最中にミヤモトさんに「キム、今日帰らなくていーよね?」、「店には連絡しとくから」とだけ言われ弾丸の旅が1週間の旅に変更されました。
もちろん日帰りのつもりで来てるので着替えも泊まるところもなく、それを伝えると1万円だけ渡されて「これで服買ってきな、泊まるとこはビジネスホテルあるから」と言われました。とはいっても毎日サロンワークの後は飲みに行って閉店まで飲んで、1時間くらい寝てまた仕事して、の繰り返しだったのでホテルなんてなくても問題では無かったんですが…(笑)

ミヤモトさんの破天荒話はまだまだいくらでもあるですが、本題からズレるので、また機会があれば…(笑)


そして美容師になる…

そんなこんなで2年半くらいアシスタントをし、21歳の頃にデビューしました。
デビューしてからもヘルプを通して色んな地域に行くこともあったり、自分も都内のカリスマサロンに髪を切りに行ったりしました。
自分が働いている店舗にも中途で入社してくる多く、色んな美容師さんの技術を見るとこも増え、他で働いてみたい、という思いが出始めます。

そしてデビューから約4年目に、姉が旦那さんと美容室を開業するということもあり、退社することになります。

姉のサロンでは、今まで働いていた大型店とは違い個人店ということもあり、技術や接客の質を見直す機会になりました。
今までのサロンが下手、とか言うわけではなく、常にスタッフの数以上、セット面の数以上のお客さまが来店されるサロンと、最初から最後まで担当者が対応するマンツーマンサロンでは時間の使い方などが大きく変わります。
(真逆の文化なので、どっちが好きとかは別れると思いますが、どちらが正解とかはないと思います)

姉のサロンで働いている時もミヤモトさんを始め、最初のサロンのスタッフとの交流もあったので3年後にまた出戻ることになります。

出戻り1年後くらいに店舗を任されることになりました。
個人的には店長とかリーダーというものにそこまで興味はありませんでした。
自分自身もそうだし、他のスタッフも長く美容師をしてきている人ばかり(スタイリストの中では僕が一番年下でした)だったので、お店のしてのルールは守りながらもそれぞれが自由にやっているような雰囲気でした。
創業セミナーに参加した今だから思うのは、それだと店舗としての理念とか何を大事にするのか、がブレブレになる可能性があるから、オーナー(ミヤモトさん)やアシスタントのみんなには申し訳なかったなと思います。

芽生える独立心…

そのまま7年くらい店舗のリーダーをしていたのですが、
この業界のあるあるで、やはり独立をしていくスタッフがどんどん出てきます。当時、切磋琢磨してきた他の店舗のリーダーが独立したりするのを見て、自分の中にもそろそろ自分も…みたいな考えが出てきます。

最初はテナントを借りて独立するつもりでした。
働いているサロンの駅の隣の駅の目の前の空きテナントを見つけ、成約まで行きました。
ちょっと古いけど改札口の目の前で広さも家賃も申し分ない。
内装も業者と話し合い、なんとなくなイメージが固まっていきます。



ここでアクシデント。


その年の一番大きな台風が茨城県直撃。
そもそも台風が茨城県に直撃するなんてことも珍しいのに、
よりにもよってその年最大級の台風。

建物自体は無事なものの、浸水やら雨漏りやらの被害…
そこで大家さんから、
「こんな状況だから今ならキャンセルしてもいい」
との提案を受け、その物件をキャンセルすることに…
その時は絶望しましたが、その翌年にパンデミックが起き、美容業界だけでなくどの業界においても経営が厳しくなった時期なので、あの台風は神様の救いだったのかな、と今は思っています(笑)

そんなこんなでフリーランスになり今の職場にお世話になることになりました。

フリーランスになると店舗は持たないものの個人事業主になるので、ある意味独立したことになります。
そのせいもあってか、
このままでもいいかも…
なんて思えてきました。


人生、何があるかわからない

そんな中に起きた事件…



師匠であるミヤモト氏が亡くなりました。
享年49歳でした。

そして翌年、
自分より年下の従兄弟(子供の頃から兄弟みたいに育ってきた)
も仕事中の事故で亡くなりました。

ミヤモトさんは自分が美容師になった時の初めての上司、
オーナーになってからも色んな技術を教わり、おそらく社会人になってからは家族より多くの時間を過ごした人、この人がいなかったら100%今の自分はいないと言い切れます。

亡くなった従兄弟も6人いる従兄弟の中でもっとも気が合い、仕事の話もマトモにできるヤツでした。まして従兄弟の中で一番年下…



2023/8月に妻がアイラッシュサロンをopenしました。
本当は2025年に自分も独立、と考えていました。

二人の訃報があり、自分の中で
このままのんびりぬるま湯に浸かってちゃダメになる
人生かけてやりたいことやろう
という思いが芽生えました。

幸いにも妻も応援してくれて、髪育という茨城にはまだ入ってきていない
コンテンツにも出会えました。

仕事の時間もプライベートな時間も楽しみたい
子供の前で「あー、明日も仕事かぁ」なんてグチは吐きたくない

僕はそんな生き方がしたいと思っています。



木村誠之ってヤツはこんなヤツです。


長々と失礼致しました。



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