季節の匂い

とびきり暑かった今年の夏が、9月半ばに入ってあっという間に勢いを失って消えていく。
夏中エアコンをつけっぱなしで締め切っていたベランダの窓を開けると、かすかに夏の匂いの残るひんやりとした風が心地いい。

そういえば、季節に匂いがあると感じたのは、いつだったか。

***

「また2学期に会おうねー!」

小学校5年の夏。
町のお祭りでそう言って別れた友達とは、そのまま会えずじまいになってしまった。
急遽父親に引き取られることになり、地元を離れなくてはいけなくなった。

父は数年前から仕事で海外におり、その間夫婦仲は冷え切ってしまったのだろう。
母親は私たち兄弟を捨てて若い恋人の元へ去り、それから私たちは家の近くに住んでいた父方の祖父母の家に身を寄せていた。

この頃、私は動物の出るテレビのドキュメンタリーを観るのが嫌いだった。
動物が嫌いなのではなく、傍で一緒に観ている祖母が必ず
「獣だって自分の子をちゃんと育てるのに、あんたの母親は……」
と泣き出すので、テレビの内容にも集中できずどうしたらいいのかわからなかったからだ。

そんな環境から逃れられる。
飛行機に乗れる。
海外に行ける。

あまり深く考えず、単に夏休みの旅行のように思っていたのだろう。
発つ前日の夜は、遠足の日の前日のように、なかなか寝付けなかったのを覚えている。

当時は東京からの直行便もなかった、とある国の、とある島。
父はそこで宿泊業を営んでいた。
都会でしか暮らしたことのない私たちにとって、海や山へ行ってたくさん遊び、毎日クタクタになって眠りこける毎日は、新鮮で仕方なかった。
蝉を触ったのも初めてだった。
星がこぼれそうなぐらいの夜空と、流れ星を見たのも初めてだった。
日に焼けた肌が黒さを増し、抜け殻のように皮がむけ始めた頃、2歳上の兄が言い出した。

「夏休みの宿題しなくちゃ」

もちろんその必要はない。
だってもう引っ越したのだから。
だってもう日本には帰らないのだから。
だってもう友達にも会えないのだから。

みんなにさよならもちゃんと言えなかった。
寄せ書きももらえなかった。
住所もわからないから手紙も書けない。

きっと彼らは私のことを忘れてしまうんだろうという寂しさと悔しさで、とても悲しかったのを覚えている。

しばらく泣きはらした後、窓から海風が吹いてきた。
夏の間、体いっぱい受け止めたあの空気が、変わりゆく季節を含んでいた。

***

兄もこの頃ぐらいから季節の匂いの話をするようになった。
年も近く、同じような環境で、同じような気持ちを共有したからなのだろうか。

そんな30年以上前のことをふと思い出した、夏の終わり。

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