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表六句はM向けかもしれない

連句にはルールがあります。

特に、表六句(おもてろっく)とよばれる始めの六行は、ガチガチに縛られます。

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最初の句、発句(ほっく)は自由で、のびのび挨拶気分の句。その時の季語を使ってよみます。

二句目の脇(わき)は、発句と「同時同場」であるのがよしとされます。同じ季節、同じ場所。同じ場所と言っても、発句が場所を特定していないのなら、脇は場所を設定することもできます。
脇は七七の音になります。
下の七音は、
タタタ タタタタ か タタタタタ タタ
の調べが好まれて、なおかつタタタタやタタは体言(名詞)だと、いいね~って感じです。

続いて第三の句。
五七五。
これは、たけたかく?と言われて、品があり気高い句を求められる。
それも、最後の五音は、
「◯◯◯して」「◯◯◯◯に」「◯◯◯にて」「◯◯◯◯て」「◯◯◯らむ(ん)」「◯◯もなし」にしてねと注文があります。
例えば、窓辺にて、とか、揺らめいて、とかです。「なむ」は、意志や推量、「もなし」は、「~もない」って意味だと思う。「らむ」も「もなし」も、私はあまり使いません。どちらかと言うと、使えない、かな。私の連句仲間は「塵もなし」と使っていて、へ~なるほど、と思いました。
私は気高く、についても、あまり気にしないでよんでいます。

四句目は、しくめぶり、と言われ、軽く流す句。なお、少し面白く。これは時と場合によるかな。

五句目は、月の句になります。俳句の月は秋。月って言っただけで、秋。秋の季語と月を一緒にすると季重なりになります。

ところで、連句は、逆戻り、特にその句が、前の前の句(打越句うちこしく)に似たり、打越句を感じさせたりしてしまうのを一番嫌います。
三行の句を右からABCとすると、ABはやや仲良しなのですが、Cはガラリと転じる句でなくてはなりません。CがAっぽくなるのは、マジでそれだけはやめろよ、くらいに嫌われます。
第三は、五句目の月の句の打越句になります。それで、第三では、丸いものとか空を仰ぐとか、光るとかそういうのは避けた方がいいよなあ、と考えたりします。
逆に、四句で、月を連想させるかもしれない句をよむと、おお、五句目で月がよみやすいぜ、みたいになります。

表六句は、神様仏様とか、それから死ぬとか昔を偲ぶとか、その時話題になっているニュースをよむなども、しないほうがよしとされます。外国語や固有名詞も、入れないほうがよしとされます。

表六句のガチガチ感に対して、もっと自由にやろうぜ、なんでもありだぜって方もいて、その方は捌く(出された句から選び進行する)時、ルールを考えないで巻いていかれます。私にはできないので、すごいなと思います。(ルールを忘れてしまうことはよくあるけれど)

私は縛られたいタイプ。句を考えるにあたり、縛りは拠り所、でもあるのです。そういう体質なんでしょうね。

全ては捌きの気分で決まることもあります。ルールにのっとっていなくても、ぐっとくる句が出されたら、とってしまいます。

ちなみに、表六句が終わると、ゆるゆるになります。おのおの己の生きざまをぶつけます。気にするのは、季節と、逆戻りしないようにと、月と花の位置くらい。
花は桜で春。月と桜は、よんでいい行が決まっているんです。

なにがともあれ、他の方の句をじっくり味わい、場面を連想し、考える。その流れが基本中の基本で、大切だと、習いました。

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